諏訪原城ビジターセンター(静岡県)
事前情報収集
「馬出」(うまだし)について
諏訪原城ビジターセンターの案内によると
「虎口の外側に、防御強化と
出撃拠点を目的に置かれた曲輪。
外側塁線が円弧状になる丸馬出と
方形になる角馬出に大きく分けられる。」
このように説明されています。
そして、
諏訪原城はそんな丸馬出の宝庫。
まずは、ビジターセンターで、
丸馬出はじめ諏訪原城の
事前情報のGETです。
空港からビジターセンターへ
僕達が降り立った富士山静岡空港と
諏訪原城の距離は近く、
車で10分程度の好立地。
諏訪原城の入り口に建つ
ビジターセンター。
中へ。
模型(ジオラマ)
館内に入ってすぐ左側に
展示室があります。
こじんまりとしていますが、
ここには諏訪原城の魅力が
凝縮されていて、
特に中央に配置された
諏訪原城攻防戦のジオラマは圧巻です。
そのジオラマを見る前に、
ちょっと予備知識を・・・
武田氏時代は着彩された
右側部分のみ。
点線で描かれた大規模なものが
徳川家康改修後の今の姿です。
徳川家康時代の俯瞰図。
ジオラマ(模型)が作られているのは、
俯瞰図の左側、赤線で囲ってある
二の曲輪の丸馬出を中心とするものです。
模型の製作は、
地元、島田工業高校の生徒たちで、
案内には、
「諏訪原城陥落後、
牧野城(諏訪原城)を守る徳川軍と
城を奪い返そうとする武田軍の戦を
イメージしたものである。
場所は、二の曲輪北馬出と
中馬出をモデルにしている。」
このように書かれています。
攻める武田軍。
場内を守る徳川軍。
武田軍側からみた巨大な丸馬出。
真ん中の深い薬研堀と
丸馬出をアップで撮影。
高校生の作品、素晴らしい!!
模型製作のあらまし。
高校生たちの奮闘記かと思いきや、
諏訪原城の詳細案内になっています!
ジオラマ内のクイズ。
「足ガール」って
女性の足軽ということかな?(笑)
その他の展示
ジオラマの次はパネル展示へ。
城の変遷、諏訪原城の特徴。
城郭用語も満載。
諏訪原城の歴史。
案内を一部抜粋・追記すると
「諏訪原城は、武田勝頼が、
天正元年(1573)に
遠江を制圧するために、
のちの築城の名手と評された
馬場美濃守信春(信房)に命じて
牧之原に築かせたとされています。
その際に城内に武田氏の守護神である
諏訪大明神を祀ったことから
「諏訪原城」と命名されました。
天正二年(1574)
勝頼は高天神城を攻略し、
翌年5月には長篠城を包囲しましたが、
その後、諏訪原城は家康により陥落、
名前を「牧野城」へと改名しました。」
その後は、
「武田氏が滅亡したことで、
城代は置いていたものの、
この城の存在意義は薄くなり、
小田原征伐後、家康が関東に移り、
廃城となったと」書かれています。
諏訪原城年表。
出典を明記して、
詳しく案内されている
素晴らしい年表ですね。
これにて
ビジターセンターでの滞在は終了し、
いよいよ丸馬出たちとのご対面へ(笑)