長篠城(愛知県新城市)

 

典型的な攻城戦

日本城郭検定公式参考書、

「日本の城」によれば、

「戦国期、攻城戦の多くは、

国境付近の城郭を巡る戦闘で、

その結果「後詰め決戦」と呼ばれる、

的に囲まれた城の

救出戦が中心となった。」

このように書かれています。

まさに長篠城こそ国境付近の城郭であり

その後詰め決戦が織田・徳川の鉄砲隊に

武田軍が壊滅した長篠の戦いで、

まさに教科書通りの(笑)

戦いだったという訳ですね。

後詰(援軍)がくるまで、

わずか500名で籠城したという長篠城、

実際に行ってみると、

落城しなかった理由が、

少し分かった気がします(笑)

本丸周辺

本丸入口付近から攻城開始。

分かりやすい縄張図。

典型的な「梯郭式」の縄張りで、

本丸の南端は断崖絶壁で、

しかも二本の川の合流点で、

北側も水堀的に川が流れる

まさに要害の地。

本丸入口(虎口)。

向かって左側の空堀。

まずは空堀上の土塁からスタート。

土塁の上。

突き当りに稲荷神社跡があります。

突端まで行くと・・・

線路!

これはJR東海の飯田線で、

長篠城の本丸は、

この線路で南北に分断されています。

空堀を見ながら虎口方面へ。

土塁から俯瞰した本丸。

本丸。

長篠城本丸跡の碑。

織田・徳川連合軍と、

武田軍戦没者の供養塔。

アメリカ、アラモとの友好碑。

長篠城とアラモの戦いが

似ているとして、

1914年、アラモに石碑を贈った

志賀重昂氏を顕彰し

アメリカ側から贈られた樫の木。

両者の共通点は、

籠城中の人が脱出して、

援軍を呼びに行った所。

しかし、結果は、真逆で、

長篠城は救出成功、

アラモ守備隊は全滅・・・。

本丸北を背にして南側の景色。

南端、線路沿いの柵には、

いくつかの案内があります。

武田軍の陣地跡、

鳶ヶ巣山。

「長篠城おさえ

武田軍五砦(さい)へ

徳川軍東三河勢が奇襲した

鳶ヶ巣方面の戦い」と題された案内。

設楽原での決戦前、

密かに砦を囲んでいた

酒井忠次率いる徳川軍。

この隊の活躍で、

砦は壊滅し、武田軍敗北に

大いに貢献したと書かれています。

武田軍の五砦とその壊滅状態。

武田軍の主だった武将は、

全滅に近い状態だったようです。

線路を挟んだ南側の野牛郭。

渡合。

左手宇連川と右手寒狭川の合流点。

渡合をズーム。

郭になっていますね。

そして、

向かい側の牛淵橋から撮影したのが、

こちらの写真です。

右奥が宇連川、左奥が寒狭川、

手前が合流点。

その真ん中が長篠城です。

城から脱出して援軍を確認に行った

鳥居強右衛門の磔の場所は、

この対岸になります。

案内。

ここから見た寒狭川(現、豊川)。

こちらが後ほど訪問した、

対岸の鳥居強右衛門磔死之跡。

北側の堀の役割を果たしていた

寒狭川の不忍滝の案内。

う~んピンぼけですね(汗)

最後にこれで攻城完了。

 

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