高天神城(静岡県掛川市)その2

 

城巡りは人巡り

高天神城は訪問者への案内が

驚くほど充実しているため、

戦国時代から現代まで(笑)

多くの知られざる人物の、

人間臭く心打たれるエピソードを

知る事ができます。

高天神城を巡る事は、

即ち、

人巡りでもあるのです。

僕達に多くを教えてくださった

高天神城を愛する方々に

改めて感謝しています。

松幹化石

本丸に鎮座する

元天神社参拝後に見つけたのが、

こんな案内です。

「松幹化石」

何となく柵の外にあるのが、

この案内の示すものかと

近寄ってみました。

触ってみると木の感触ですが、

確かに化石に見えますね。

若かりし頃の、この松の木は、

武田VS徳川の高天神城攻防を

見てきたのかも知れません。

本丸の石碑

ここには

幾つかの石碑が建っています。

本丸全景。

案内によると

「高天神城の模擬天守(鶴翁閣)を

作られた海軍少佐・医学博士の

加藤安吉氏を顕彰された事を記念し、

昭和九年地元の青年団により建立された。」

このように書かれています。

この中の「模擬天守」は

本丸下の御前曲輪で見た

基礎部分だけ残ったものでしょう。

これが模擬天守基礎部分。

加藤安吉氏が気になって

ネットで調べると、

連合艦隊の軍医長も

務めている方で、

最終階級は軍医少将のようです。

ネット社会は、

便利で楽しいですね(笑)

案内によると

「日清戦争に出征された方の顕彰碑。

文は掛川城の最後の家老の

太田資縫(後、竹城)が書かれた」

このように書かれています。

碑文を読むと、

平壌で戦没された個人の方の

慰霊碑のように感じました。

西南之役樹勲紀念。

本丸跡碑

本丸の西側寄りに、

本丸跡碑と案内があります。

土塁の痕跡なども

見えていますね。

徳川家康の城を

天正2年、武田勝頼が攻略し、

その後、天正9年、また徳川が奪い、

廃城となった経緯が書かれています。

ここでツーショット完了。

本丸の搦手から次の曲輪へ。

大河内政局幽閉の石窟

案内図にも記されている

大河内さんが幽閉されていたという

場所へ行ってみました。

本丸を降りたところに

分かりやすい案内がありますが、

どのくらい歩くのかと

ドキドキしながら進むと

あっさりとご対面(笑)

右側の案内を要約・加筆すると

「大河内幽閉の石風呂(石窟)

天正2年6月武田勝頼来攻包囲、

徳川方は開城し、退去したが、

軍監大河内源三郎政局一人だけは

退去せず、

勝頼は怒って政局を幽閉した。

武田方の城番、

横田尹松(ただまつ)は、

政局の義に感じ、

密かに厚くもてなした。

天正9年3月

高天神城を奪還した家康が、

検視に訪れた際、発見、

家康は過分の恩賞を与え、

その労をねぎらい、

津島の温泉で療養させた。

一旦出家した政局は、

その後家康に召し出され、

長久手に戦い討死した。」

このようになります。

家康に関わる城や

戦場跡に行くと、

「死を厭わず忠義を尽くした→

多大な恩賞を与え→

その後召し抱える→

家康に恩を感じ忠義を尽くして

家康の為に粉骨砕身する。」

こんなパターンのエピソードには

事欠きません(笑)

とにかく、

江戸時代260年の

太平の世を築いた

家康の偉大なる人物像が、

くっきりと浮かび上がってきますね。

実は、敵方の横田尹松さんも

後年、武田が滅びた後、

家康の家臣となって、

旗本として家は繁栄していますが、

その詳しい話は、

また次次回位で(笑)

的場曲輪跡

次に本丸下の的場曲輪へ。

手前が的場曲輪で、

盛り上がったのが本丸。

そして、

ここで妻と僕が注目したのが、

この丸石の山です。

こんな山奥に

川原石みたいなのが

これだけ沢山あるなんて、

いったい何なんでしょう?

そんな疑問を解決してくれたのが、

やはり親切な案内です。

「この場所は、表示から想像すると、

弓矢等の練習をしていた場所と

言われている。

数年前に発掘した時は、

砂利が敷き詰めてあった事が

確認されている。

これは重い物を置いても

沈まないようにする為、

あるいは鉄砲の弾薬を置いた場所で、

湿気防止の為ではないかと言われている。」

このようになります。

なるほど~!

良~くわかりました(笑)

的場曲輪から下へ。

的場曲輪の虎口。

中間地点

このあたりが

「一城別郭式と言われている。

城の構成が、東と西に曲輪が二つある。」

と書かれた案内の

東西の中間地点となります。

高天神城想像図では、

「矢印」の場所になります。

中間地点の案内は、

マニアも喜ぶほどの

詳細なもので、

略年表なども

「略」ではなく「詳細」ですから(笑)

従って、これに見入っていたら

時間がなんぼあっても足りません(笑)

そんな中から二つの図を拡大。

高天神城攻防城砦図。

いや~もうこれはたまらんですね。

城や砦、戦場、

そしてそこでの戦いは、

いつの出来なのかが

元号表示で詳細に

記されているではありありませんか!

僕達が先に訪問している

諏訪原城掛川城横須賀城

そして小さな砦群も、

家康が高天神城を落とすのに

大切な城だったことが良くわかります。

高天神城跡略図。

こちらも素晴らしい!

先程の「的場曲輪」には

「矢場」と「玉場」と

二つが記されていますので、

矢と、鉄砲という意味なのかも

知れませんね。

中間地点の案内で興奮した後は、

一城別郭式のうちの

西の郭へと向かいます。

(続く)

 

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