2022/02/09

高天神城(静岡県掛川市)その3

 

元天神社と高天神社

先に東峰の本丸で参拝したのは、

古くからあった「元天神社」、

今回西の丸(西峰)の

頂上で参拝したのは、

享保九年(1724)に遷宮された

「高天神社」です。

両社の位置関係を

高天神城想像図に

書き込んでみました。

廃城になってから150年を経て、

西峰に遷宮したのは、

どのような意図があったのでしょう・・・。

井戸曲輪

井戸曲輪は高天神社の参道で、

曲輪全体に、

神社然とした雰囲気が漂っています。

まずは狛犬。

吽形。

井戸曲輪の下に位置する

鐘曲輪の案内。

「看板の下方に削正した平場

(現在は雑草が繁った状況)をいう。

西・東の曲輪に待機している城兵に

敵兵が攻めてきた事を知らせる為に

ここで鐘や太鼓で知らせたという。」

このように書かれています。

なんと親切な!

「現在は雑草が繁った状況」

こんな説明まであるなんて、

涙が出そうですよ(笑)

井戸曲輪全景。

両脇には狛牛が鎮座しています。

阿吽ではありませんが、

向かって右側の狛牛。

こちらは左側。

この裏側を確認すると

昭和17年8月の奉納となています。

この時、世界大戦真っ只中。

日本軍は奉納と同じ月の

8月7日、

ガダルカナル島への

アメリカ軍の猛反攻で、

戦況は泥沼に陥っていく頃です・・・

「かな井戸」。

案内によると

「この付近は東西の曲輪の中央で、

馬の背にあたる所で、激しい戦いが

行われた場所と言われている。

井戸の「かな」の表示は、

鉄分が含まれているとか・・・。

右方向に進むと、武田方が造った、

横堀、切堀が確認できる。」

このように書かれています。

尾白(おじろ)稲荷。

案内を抜粋・アレンジしてみます。

「高天神城が徳川により

落城し廃城となった後、

城山に「白い大きな動物がいるらしい」

という情報が入った。

以前の城主の叔父

「小笠原氏義(義頼)」は

帰農(武士から農民に戻る)していたが、

弓矢の名人であったため、

この者が射ると、白い狐だった。

それを家康に報告した所、

以後「尾白と名乗れと言われた」と

言い伝えられている。

その後、御子孫が

先祖供養のため祀っておられる。」

このようになります。

江戸時代まで、

「名前を変えよ」という命令は、

結構出てくるお話ですが、

それは縁起担ぎなのか、

封印のためなのか、

はたまた、

先祖にその功績を伝えるためなのか、

何なのでしょうね・・・謎です(笑)

高天神社

ここから最高所の

西の丸跡、高天神社へ。

石段となっている位置は、

戦国時代は切岸として、

断崖絶壁だったところですね。

右には手水舎、

左には西の丸跡の案内があります。

安政か文政六年奉納の手水鉢。

西の丸の案内。

「西の丸は岡部丹波守真幸が

守備していた時期があり、

丹波曲輪とも呼ばれている。」

このように書かれています。

Wikipediaによると

武田方の真幸さんは、

天正9年、最後の戦いで、

高天神城を打って出て、

70歳近くで

討死したそうです・・・。

拝殿前は玉石垣。

高天神城を散策していると

石碑、狛犬の台座など、

その多くには玉石が用いられています。

やはり横須賀城の玉石垣

意識しての事でしょうか・・・

拝殿にて参拝。

何故か、高天神社に着いた途端、

急に青空が顔を出してくれました。

妻と二人して、

鳥取の大神山神社に参拝した時、

嵐から青空に変わったのを思い出し、

何かに守られている感でいっぱいで、

感謝しかありません・・・。

左が神楽殿らしきもの、

右が拝殿。

本殿に参拝。

「高天神城記 鷲山恭平録」

と題され、

「昭和三年十一月為

御大典奉納記念

土方村青年団建立」

このように案内があり、

高天神城が出来てから

天正九年に落城、廃城までの

詳細な歴史が刻まれています。

そして、

僕達が感動したのがこちらです。

拝殿に掛けられていた案内。

高天神城の地形の成り立ちや

歴史の詳細とともに、

家康と勝頼が攻防戦を繰り広げた頃の、

地図が表記されています。

ここは内陸ではなく、

海岸に近い山城だったのですね!

要するに城の東側には、

天然の巨大な水堀があったという訳で、

高天神城がいかに重要だったのかが、

この地図でさらに納得出来ます。

裏側。

石牢に7年間閉じ込められながらも

家康に忠誠を尽くした

大河内源三郎政局や、

その大河内の義に感じ入り

手厚い配慮をしたという

横田甚五郎尹松(ただまつ)についても

詳しい案内が書かれています。

ここでツーショットを完了。

次は、神社の案内で書かれていた

横田甚五郎尹松が、

高天神城を脱出したルート、

「犬戻り、猿戻り」へと向かいます。

(続く)

 

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