丹賀砲台園地(大分県佐伯市)後編

 

遺すことの意義

僕たちが佐伯市の鶴見半島を旅したのは、

天気に恵まれた日曜日。

そんな旅にはもってこいの条件でも

殆ど人はおらず、

鶴御崎、水の子海事資料館など

行く先々で、同じ観光客と会うばかり。

ここ旦賀砲台園地でも

お馴染みのメンバー(笑)がいたくらいで、

ほぼ貸し切り状態でした。

維持管理する費用も大変な中、

入場料の200円では、

なかなか厳しいものがあるのではと

他人事ながら考えてしまいます。

まあ、僕には200円が、

支払いの限界ですが(汗)

それでも、過去の戦争の悲惨さを伝え、

平和の尊さを未来の人々に継承するには、

ここは、知覧の特攻基地跡と

変わらないほど貴重な戦争遺跡だと思います。

亡くなった人の命は、

単なる数字だけ表すことなんか出来ません・・・

大砲暴発事故で亡くなった方一人ひとりに

それぞれに家族があり、友人もいて、

今でもなお悲しむ人たちがいるのですから。

人気(ひとけ)が無い観光地でも

やはり戦争遺跡は、何らかの方法で、

永く遺していくのは、

未曾有の戦争を経験して、

国土が灰燼に帰した日本だからこそ

出来ることだし大切な事のような気がします。

子どもたちに平和教育をするのは

教室内だけではありません。

戦争が行われ、人が亡くなった現場こそが、

「生きた教室」なのですから。

砲台跡

ドーム内から紺碧の海が見えています。

大砲があった場所にいるとは、

信じられないほどにのどかです。

「旦過砲台の役割位置図」

元の間海峡に向かって設置されていた

巡洋戦艦伊吹の30センチ砲台。

この砲台の暴発事故が、昭和17年初めで、

この時、既に日本海軍、空母機動部隊の

航空機によるハワイ真珠湾攻撃で

大きな戦果を出し、

制空権を取ることが勝利の条件であり

大艦巨砲主義は過去の遺物

というのが証明された後でした・・・

後知恵ですが、

この砲台が活躍する可能性は、

既に無かったのです・・・

今は平和な海。

プラネタリウムを

思い起こさせるようなドーム全景。

そして、このドームの海側には、

豊予海峡の地図を

石で表したオブジェがあります。

大分側の海岸線

僕たちがいる鶴見半島。

対岸には四国愛媛県南部の愛南町。

実は、佐伯を旅した2週間後、

ここに旅する予定だったので、

テンション上がりまくりでした。

満開近い桜。

桜の花と丹賀砲台跡。

青空の下、重い過去を記憶する

近代のドームを背景にツーショット。

ここで、山上の散策は完了し、

またドームの螺旋階段で、

スロープカー「伊吹」へと向かいます。

昔は弾薬を運ぶベルトコンベアー、

今は、僕たちを運ぶスロープカー。

昔の坑道がそのまま利用出来るなんて、

珍しいことですね。

スロープカーのカテゴリーは、

ケーブルカーでは無く、

「エレベーター」なので、

運転免許などの資格は不要です。

運転手は妻。

まあ、ボタンを押すだけですが(笑)

出発進行!

それにしてもスロープカーのこの楽しさ、

殉難者の方々には申し訳ないほどです。

そして無事、下界に到着。

ここで、気になるプロペラを発見。

横にある説明を読むと、

これは川西航空機の傑作機、

二式飛行艇(二式大艇)のプロペラでした。

二式飛行艇と言えば、

昨年夏、鹿屋基地で本物と出会い、

感動した飛行艇です。

鹿屋基地で撮影した、

二式飛行艇と敬礼する妻。

ここでも海軍式敬礼。

地下弾薬庫入り口

壁のウロコ状の仕上げは、

山肌に見せかけるためのものだと

どなたかのサイトに書いてありました。

ここも博物館みたいに綺麗です。

なんだか舞踏会でも出来そうな大広間。

多分戦時中は、ここに弾薬が山積みされ

こんな床のデザインではなかったでしょう・・・

弾薬庫を見学したあとは、

気になっていたものを撮影します。

地元の戦没者の方の慰霊碑「平和の塔」。

この段差を利用して撮ったのがこちらです。

実物大の大砲が描かれた駐車場。

これでも高さが足りません・・・

ドローンで撮影したい気分です(笑)

ここで、散策は完了。

丹賀砲台園地は、

スロープカーもある貴重な戦争遺跡でした。

 

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