東大寺・転害門(令和4年7月)

 

2度目の訪問

前回、転害門を訪問したのは、

2年近く前のこと。

その時は、

永禄十年(1567)、

多聞山城を本拠とする

松永久秀が三好三人衆との戦いで、

布陣した場所としての訪問でした。

一度行っているので、

今回の旅では、

予定していませんでしたが、

光明皇后のみささぎ(お墓)に行く際、

転害門から歩いて5分ほどの

駐車場に停めたことで、

やはり再度訪問することに。

これもご縁なのかも知れませんね。

光明皇后陵から転害門へ

光明皇后が眠る佐保山西陵から

転害門までは一直線で、

歩いて10分ほどの場所です。

石造りの欄干が素晴らしい

昭和六年(1931)

六月竣工の法蓮橋。

ここで91年間、

現役を続けておられます。

行きがけ出迎えてくれた佐保川の白鷺、

帰りは見送ってくれています。

水しぶきとのコントラストが

なかなか絵になるな~!

僕たちが停めた駐車場。

ここを通過してひたすら転害門へ。

二年前に多聞山城に行った時、

大変お世話になった

若草中学校、若草公民館への案内。

空き地。

二年前に旅した時、

ここは僕たちがお昼の弁当を買って

駐車場で食べた(笑)、

「ビッグナラ若草店」という

スーパーマーケットでした・・・

時の移り変わりに何となくしんみり・・・

正面に転害門が見えてきました。

転害門

信号を渡ると、そこは転害門です。

史跡東大寺旧境内の標柱と案内。

転害門。

「てんがいもん」と読みそうですが、

東大寺のサイトには、

「てがいもん」と書かれています。

 

まずは向かって左側のお地蔵様に参拝。

そして、前回は気づかなかった

裏側の五輪塔へ・・・。

どなたかが眠っているのでしょうか。

ここも前回気づかなかった芝生広場。

芝生広場から転害門を真横から撮影。

近影。

反対側から妻を入れて撮影。

これだと門の巨大さがわかりますね。

前回ボランティアの方に

教えていただいた南西の。

奈良時代の創建当時のまま残る

貴重な転害門ですが、

その姿を留めるために、

今日までの1300年近い間に、

多くの柱は修復・取替されています。

そんな中、

節くれだった、この柱だけは、

奈良時代オリジナルと言われています。

転害門の前は平城京に直結する道、

聖武天皇や光明皇后も

東大寺参拝の折りには、

この柱をご覧になったかも知れませんね!

盃状穴も再確認。

東大寺の鎮守社である

手向山八幡宮の祭礼時、

ここが御旅所となることから

お寺の建物にしては珍しく、

しめ縄が張られています。

裏側(東大寺大仏殿側)。

ここでもボランティアの方に教えて貰った

永禄十年の戦いで、

鉄砲や矢が刺さった跡を確認。

最後に前回の旅で、

雨の中、親切に案内してくださった

転害門観光案内所に一礼。

 

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