2024/06/07

徳島城(徳島市)本丸

 

糸姫

徳島藩主の蜂須賀家と言うと

一番に思い浮かぶのが、

僕の地元福岡藩主、黒田家とは、

戦国末期から江戸時代かけ、

127年間もの間、

挨拶もせず口も聞かなかった事です。

その原因は政略結婚にあります。

徳島藩祖、蜂須賀家政の妹、糸姫は、

豊臣秀吉の養女として

黒田長政の正室となったものの

秀吉の死後、今度は徳川家康が、

保科正直の娘、栄姫を

自分の養女として、長政の正室とし、

結果、糸姫は離縁され

徳島城に戻されています。

これが、

127年間の「不仲」の発端ですね・・

その後、

黒田長政と栄姫の嫡男で、

三代目藩主の忠之は、

放蕩息子だったらしく

その放蕩ぶりを家臣が幕府に直訴し、

黒田家は改易の危機に陥ったのですが、

三代将軍家光さんが直々に裁き、

「忠之はお爺ちゃんの孫だからOK!」

(多分真相はこんな感じでしょう・・笑)

と、お咎めは無し・・

糸姫の犠牲の上に、

福岡藩は成り立っているというのは、

言い過ぎかも知れませんが、

それを思うと、

127年間の不仲は

しかるべきものと納得するものの、

改めて糸姫の不憫さに

心を痛めざるを得ません・・・。

東二の丸

鷲の門、大手門などを散策後、

遂に(笑)山登りを開始。

図面の緑色の部分が山になっていて、

本丸を中心とする曲輪が、

配置されています。

限られた時間なので、

近くで見つけた

登り口からの登城です。

途中の崩れそうでも

踏ん張っている石垣。

この素朴な野面積み、

たまらんです!

東二の丸に到着。

ここは天守跡。

本丸ではなく一段下の

二の丸に天守が建てられたのは、

津和野城と同じですね。

(他にもあるでしょうが・・)

遺構はないものの、

ここで妻好みの木を発見!

枯れそうで枯れない・・

満身創痍でも葉っぱを付けて

踏ん張っておられます。

石垣の先端からの景色。

空には、鬼太郎の

「一反もめん」のような雲が出現(笑)

そして、妻がこの木を指差し、

「あれ見て!」と雄叫びを(笑)

それはこんな石造の支え棒でした。

お城散策でこれに注目するなんて、

なんか視点が違う妻なのです(笑)

曲輪の端っこに建つ、

徳島戦災慰霊塔に参拝。

本丸東石垣

再度登山再開。

もうすぐ頂上付近ですが、

少し行くと見えてきたのが

古い石垣です。

「本丸東石垣」。

こちらも緑色片岩の野面積みです。

補強のために積まれた石垣。

「ミニ岩村城の石垣」なんて、

命名しても良さそうな位、

小さいながらも

多くの段が付けられて、

苦労の跡がしのばれます。

こちらが岩村城の六段石垣で、

積まれた主旨は徳島城と同じく、

高石垣の補強ですから

やはり兄弟みたいなものかな?(笑)

本丸

遂に頂上、本丸です。

この石段は後世のものかと思われます。

もしかしたら、

徳島縣護國神社がここに

鎮座していた頃の名残かも知れません。

広々とした本丸。

本丸跡の案内。

ひっそりと佇む石祠に参拝。

これには

悲しい物語が隠されています・・・

「清玄法の由来について」

以下、案内の抜粋・要約です。

「修験者、清玄法は、

この城山に祈祷所を建てていた。

蜂須賀公が築城に際し、付近の全寺社に

移転を命じたが、清玄法だけは

頑として応じないため、

城下に連れ出し謀殺した。

途端に蜂須賀家には、

変事が続出したので、

石碑を建て清玄法を

末代まで供養することを

誓ったところ変事はピタリと止まった。

その後、蜂須賀家政は

清玄法の息子らと和睦し、

子供らはそれぞれに栄えた。

特殊潜航艇で真珠湾攻撃をし、

九死に一生を得た

酒巻和男もこの子孫である。」

最後の酒巻和男で

全部が吹っ飛びました(笑)

対米戦での捕虜第一号となった

酒巻和男氏という存在は

「捕虜になる位なら死ね」という

日本の悪しき習慣を想起させてくれます。

勇敢に戦って捕虜になることを

「誉れ」とし、

帰還後には勲章を貰えるアメリカと

勇敢に戦っても一度捕虜になれば、

非国民だとして下げずまれ

人間性を完膚なきまでに

叩き潰されその家族までもが

理不尽な差別に遭う日本・・・。

どちらが人の「やる気」や「希望」を

高められるかは

言わずもがなですよね・・・

これは間違いなく

日本が戦争に負けた原因の一つです。

そして、

今の日本人は大丈夫なのか・・・

お上の「右むけ右」の号令の元

ひたすら猛進していった日本人、

果たして昔と変わっているのか?

コロナ禍をタップリと体験し、

変わっていない気がしましたが(汗)

徳島城の本丸での思い出が、

酒巻和男になった僕でした(笑)

ここでツーショット完了。

埋門(うずみもん)

本丸の案内には埋門の「意味」が

書かれています。

「本丸の出入り口は東西の門が

使われましたが、

北口には座敷の建物をされた

非時の脱出口(埋門)があり、

大名の非常時に対する

備えがうかがえます。」

なるほど非常口とは

言い得て妙(笑)

確かにこれは非常口っぽい。

昔はこの上に櫓があったので、

その秘匿性は相当なものかと

推察します。

埋門右側の石垣。

埋門左側の石垣。

ここは・・どこの石垣か

忘れました(汗)

屋島への出発時間が迫る中、

近道コースで駐車場へ。

何かと見落としはありますが、

時間がない中、

ここに来られただけでも

100点満点でしょう(笑)

 

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