藤原秀郷墳墓(栃木県佐野市)

 

平将門の乱を鎮圧

藤原秀郷ふじわらのひでさとを知ってますか?」

そう質問しても

多くの方は知らないでしょう。

しかし、

「平将門を知ってますか?」

と言えば、

多くの方がYESと答えるでしょう。

実はその有名な平将門を討ち取り、

「平将門の乱」を鎮圧したのが、

藤原秀郷なんですが、

秀郷さん、頑張った割には、

名前も功績もあまり知られていません・・・

そんな秀郷さんと僕たちの馴れ初めは(笑)

滋賀県大津市の瀬田の唐橋のたもとにあった

秀郷さんの「むかで退治」の案内でした。

「俵藤太秀郷むかで退治」の案内。

俵藤太秀郷=藤原秀郷で、

秀郷さん、平将門を討ち取る前に、

大むかでも討ち取っていたのですよ!

こんな活躍までしていたのに、

それほど知られていないなんて、

ちょっと理不尽じゃないですか(笑)

そしてこの後、

瀬田の唐橋を歩いて渡り、

そこにあったお地蔵様の前で、

偶然にも秀郷さんを祭る

龍王宮秀郷社」という神社の

宮司さんと出会ったのです。

宮司さんには瀬田の唐橋を背景に

二人の写真を撮ってもらったり、

詳しい説明を受けたり、

本を頂いたりと

言葉に尽くせないほど

親切にしていただき、

この日から僕たちは藤原秀郷と

平将門の痕跡を求める旅に

のめり込んだのです(笑)

藤原秀郷墳墓

お墓の近くには駐車場がない事を

事前に知っていたので、

近くの道の駅に駐車させて貰いました。

ここからスタート。

道の駅から徒歩5〜6分で到着。

一の鳥居。

墓前のスペースも広く、

歴代天皇の陵(みささぎ)といった感じで

とても厳かな雰囲気が漂っています。

墓域へ。

案内を書き出すと

以下になります。

「佐野市指定史跡

新吉水町254 唐澤山神社管理

藤原秀郷公墳墓 1基

昭和42年6月28日指定

直径24m 高さ3m 円墳

周囲を平坦面と切石を含めると、

直径35.6m。高さ5mの墳墓となる。

藤原秀郷は、

上野国(群馬県)赤岩に生まれた。

天慶3(940)2月、

朝廷に背き乱を起こした平将門を、

平貞盛と協力して討ちとった。

その戦功により従四位下に叙せられ、

武蔵(東京都・埼玉県)・下野(栃木県)の

国守に任じられた。

正歴2年(991)9月に没し、

ここに葬られたと伝えられる。

かつてこの近くに、秀郷が開基となり、

大僧都知海法印が開山した大同山東明寺

(元和3年(1617)に廃寺)が

あったことから、

「東明寺古墳」ともいう。

平成18年1月 佐野市教育委員会」

参拝。

風もないのに幣がひらひらと・・

墓参り達人の妻(笑)の参拝に

喜んでくださった秀郷さんの

仕業でしょうか?

多くの功績を残した藤原秀郷さん、

歴史を紡いでくれてありがとう!

 

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