鶴ヶ城(会津若松城)天守周辺

 

ビジュアル

鶴ヶ城(会津若松城)の天守は、

外観のみが築城当時のままの姿を

鉄筋コンクリートで造り、

中身は展示場になっている

いわゆる外観復元天守です。

今は文化庁が、

「ありのままの復元」(木造)でないと

許可しないようなので、

熊本城広島城岡山城

和歌山城名古屋城などと共に、

外観復元天守として、

かなり貴重な存在となっています。

やはり僕たちも含め、

一般観光客が一目で感動するには

「ビジュアル」は必須ですからね(笑)

登城

まずはパンフレットの絵図を確認。

前回は西出丸の駐車場から

本丸へ向かいましたが、

今回は、鶴ヶ城散策後、

家老屋敷跡などを巡るため、

お城北側の駐車場を利用します。

ここに駐車して散策開始です。

近道で北出丸方面へ向かう途中、

右手のオシャレなレストランで、

こんな可愛らしいものを発見!

うひゃ〜これ欲しい!

赤べこのポールスタンド、

家に置きたいくらいですよ(笑)

北出丸の堀。

巨大な石を使用した枡形は

何度見ても圧巻。

さすが家光さんの弟、

保科正之のお城だけの事はあります。

北出丸からは土橋。

巨大な太鼓門が見えてきました。

矢穴も発見。

太鼓門枡形内から天守を望む。

太鼓門の石垣の巨大さが、

人との比較で分かりますね!

帯廓

ここからは反時計回りで

本丸周辺を散策します。

武者走りから見た天守。

天守台は戦国末期、

蒲生氏郷の手による野面積み。

この無骨さがたまらんですな!

帯廓の西南、

「上杉謙信公仮廟所跡」に参拝。

上杉景勝が会津120万石で入封した際、

春日山城から謙信公の墓所を

移転した所とされています。

その後、米沢にまた移されていますので、

謙信公は、かなりの旅をしています(笑)

そして、

ここから振り返ると・・・

これもいい眺めだ〜!

鶴ヶ城の表門である、

鉄門(くろがねもん)をくぐり本丸へ。

本丸

本丸に到着。

鉄門を本丸側から撮影。

戊辰戦争の籠城戦において、

藩主松平容保さんは、

ここで指揮し、

寝泊まりしていたそうです。

要するにお城の中で、

「一番安全」な場所だったのでしょう。

鉄門前の藤棚の風鈴、

この時期は(6月27日訪問)、

本当に癒されますね!

定番のアングルから撮影。

いや、こっちの方が定番か?(笑)

赤瓦の鶴ヶ城

テンション上がりますな〜!

天守南側の干飯櫓横から撮影。

なかなか見飽きんな〜(笑)

とにかく楽しい二人。

ここからは、

天守東側の「御三階」跡へ。

御三階の建物自体は、戊辰戦争後、

焼失した阿弥陀寺の本堂として

移転されていて、

この日僕たちは、

阿弥陀寺に参拝し

御三階の姿を見ているので、

ここでもまた、

テンション上がりまくりです(笑)

ここに建っていたのが・・・

こちらです。

右側の軒は阿弥陀寺移転時に

後から付けられたもので、

実際には層塔型の三階建てだったようです。

御三階から見た天守。

松平容保公も本丸御殿越に、

こんな風景を見ていたのかな?

この後、

天守の内覧へと向かいます。

(続く)

 

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