馬高縄文館(新潟県長岡市)序章

 

火焔かえん土器

縄文時代の火焔土器、

妻は興味がなかったようですが、

僕の一存で馬高うまたか縄文館を

この日の最後の訪問地に決定。

早朝3時半から行動しっぱなしで、

観覧途中、

睡魔に襲われもしましたが(笑)、

大いに楽しむことができ、

訪問は大正解でした。

パンフレット(表側)

「火焔土器ミュージアム」という

愛称からもわかるように

馬高縄文館において、

「火焔土器」「火焔型土器」は、

大フューチャーされています。

パンフレット(内側)

展示室案内図を見ても、

ここはまさに「火焔天国」(笑)

馬高縄文館、

僕たちに一生分の火焔土器三昧を

体験させてくれました。

館外

山本五十六記念館から

車で10分ほどで、

馬高縄文館に到着。

馬高縄文館前の道路標識。

雪対策でしょうか、

道案内の標識が、

切妻屋根のようになっていますね!

カルチャーショックとまでは行きませんが、

「所変われば標識も変わる」

という実例でしょう。

いきなり火焔土器(笑)

「史跡 馬高・三十稲場さんじゅういなば遺跡」の標柱です。

建物に向かって少し行くと、

ありました!

またもや火焔土器が(笑)

「縄文文化の王者

火焔土器

昭和十一年十二月三十一日

近藤篤三郎 此処馬高大地にて発掘

火焔と命名」

このように書かれています。

大晦日に発掘作業をしていたとは

ビックリですが、

好きでたまらない事に没頭するのに、

どんな日だなんて関係ないという事でしょう。

あるはず無いと言われていた

大阪・難波宮発見の

大きなきかっけとなった

山根徳太郎氏の大極殿の鴟尾しび発掘と

相通じるものを感じます。

奇跡を起こすのは「熱い心」

これのみですね!

こちらは火焔土器ではなく、

火焔土器から発想を得たオブジェです。

窓もあります(笑)

建物を背にすると

遺跡が広がっていますが、

閉館時間が迫ってきてるので、

ここは後から見ることにして、

まずは館内へ。

オブジェと入口。

館内

入るとすぐに出迎えてくれるのは、

やはり火焔土器です(笑)

巨大だ〜!!(笑)

もちろん、これは作品で、

本物ではありません。

次に出迎えてくれるのは、

こちらのお二人です。

岡本太郎氏と片桐仁氏。

実際に岡本太郎氏は

火焔土器を見て「なんだ、コレは!」と

言ったそうで、

芸術魂に火が付いたのかも

知れませんね!

そう言えば、岡本太郎氏の代表作、

大阪万博の太陽の塔は、

ちょっと火焔土器の雰囲気あかるも?

かなり強引かな?(笑)

そして、

お二人が指さす真ん中の火焔土器、

なんと持ち上げられるのですよ!

こちらはレプリカですが、

大きさ、重さなどは本物と同じです。

こんなものを実体験できるなんて、

もうたまらんな〜!

しかもこの作成に協力したのが、

僕たちの住む福岡県の

九州国立博物館というから

長岡市とのご縁、

ますます感じまくりですよ!

中道遺跡の炉跡。

遺跡展示の上に掲示されているのが、

日本遺産認定の案内です。

ガイドブック。

表紙は岡本太郎氏の名言?

「なんだ、コレは!」。

37ページにも渡って、

火焔土器、火焔式土器について

案内されています。

ガイドブック1〜2ページ。

ここでの肝は、左下です。

「火焔」+「火焔型」⊂「火炎土器」??

「火焔土器」は1936(昭和11)年、

長岡市の馬高遺跡で発見された

土器のみを指す。

言わば火焔グループのセンター。

そして、この土器と特徴を同じくする

土器群が「火焔式土器」です。

また、

火焔土器と同様に口縁部に特徴を持つ

「王冠型土器」や

「火炎B群・C群土器」なども含め、

これら土器づくりの流儀が

共通するグループの名前を

「火炎土器(様式)」と呼びます。」

グループのセンターとは、

言い得て妙。

それでも「火炎土器(様式)」には

含まれるところが面白いですね(笑)

最後のページの見開き、

「信濃川火焔街道MAP」。

新潟の縄文文化、

凄すぎます!

(続く)

 

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