若宮八幡社(大分市)
お願いしない
僕が、神社を巡る時に、
あまり気にしていないことは、
得られるであろう「ご利益」です(笑)
正直、パワースポットと話題になる場所も
あまり気にはしていませんし、
参拝時に願い事もしません。
神仏を信じていないのではなく、
神仏とは約束するもの、
または見守ってもらうものとの
考えが優先してしまうからです。
しかし、お願いしなくても
いつも「運が良い」と思えることが多ければ、
きっとお願いする以上のご利益を
いただいているという事なんでしょう。
結局は、意識しないと言いながら、
ご利益を意識しているんですね(汗)
若宮八幡社へ
大友氏館跡から車で数分、
若宮八幡社に到着です。
神社が鎮座する上野地区周辺マップ。
社頭の案内。
「豊後の守護大友氏の
初代能直(よしなお)が、
源氏の氏神である八幡神を
鎌倉の鶴岡八幡宮から
分霊したと伝えられる社で、
鎌倉時代から存在したことが
記録されており、戦国時代には
豊後府内町の主要街道沿いに建て替えられ、
守護大友氏と江戸時代の
府内藩主の保護を受けました。」
このように書かれています。
数年前、大分県日出(ひじ)町の
若宮八幡神社に参拝した折、
「(秀吉により大友氏が改易された後)、
日出の代官になった毛利兵橘(重政)
という激しいキリシタンが入ると、
若宮八幡神社を打ち壊し
御神体も海へ投げ込んだ」
との記述がありましたから
大友宗麟・義統父子は、
キリシタンであっても
神社もちゃんと保護していたようですね。
激しいキリシタンと
普通の?キリシタンの差でしょうか(笑)
境内へ。
手水&アルコール消毒液で、
完璧な?禊が完了。
御社殿へ。
左右には備前焼狛犬が鎮座しています。
大分市内に岡山県の備前焼狛犬が
奉納された経緯は何だったのでしょう?
また、建立年代はわかりませんが、
朱赤のペンキを塗った跡はあるものの、
壊れたり、割られたりした傷もなく、
大変美しく保たれていて、
過去、島根県の美保神社、
岡山県の天津神社で見た
備前焼狛犬に次ぐほどの美品です。
ネットで見た10年ほど前の写真だと
かなりの部分に朱赤のペンキが残っていました。
昔は、本殿と同じ色に塗装にする意図が
あったのでしょうか?
いつしか全部ペンキが剥がれ、
オリジナルの姿のままで
永く鎮座していて欲しいものですね。
拝殿。
参拝。
神額の神社名横には、
「正三位尊福書」とありますので、
江戸末期~明治初期に
多方面で活躍した出雲大社の宮司、
千家尊福(せんげたかとみ)氏の書でしょう。
以前も書きましたが、
毎年お正月の定番ソングとして
日本人なら誰でも知っている歌(多分)、
「年の始めの ためしとて
終りなき世の めでたさを」
の歌詞で始まる「一月一日」を
作詞した人でもあります。
拝殿左側から。
本殿。
左から、本殿、幣殿、拝殿。
境内社
本殿参拝後は境内社へ。
左は府内天神、右は蛭子社。
大友社。
その名の通り御祭神は、
神社を創建した、
大友左近監能直公。
錦天満社。
多賀神社。
石祠(社)を支える亀。
楢(なら)神社。
奈良県の楢神社から勧請された
子供の守護神で、
相殿には、
金毘羅社と稲荷社が祭られています。
拝殿内の神輿。
この神輿、平成8年には中国の
北京、上海に渡御しています。
最後にツーショットで参拝完了です。