若宮神社(佐賀県神埼市)

 

肥前国の神社たち

今では佐賀県=肥前国みたいな

そんなイメージですが、

実は肥前国、

かなり大きいもので、

今の佐賀県と長崎県の多くの地域が

肥前国です。

かなり昔、火国(肥国)が

二つに分かれて、

肥前国(佐賀、長崎)、

肥後国(熊本)となったのは、

このごろ知りましたが、

この二つが同じ国だったことは、

ある方言が同じということで、

わかります。

それは「そがん」「そぎゃん」です。

僕はこの言い方は、

熊本の方言だと思っていましたが、

佐賀や、長崎でも同じ言葉を使っていて、

何で、同じなんだと思っていましたら、

ルーツは同じだったのですね。

そんな歴史のある肥前国には、

かなり多くの神社があります。

そして、その神社には、

肥前鳥居、肥前狛犬といった

肥前国独自の文化がつまった

素晴らしい文化財が、

訪問しきれないほどあるのです。

しかも巨木たちも多く生息し、

他の地域であれば、

凄いな〜っと思うほどの巨樹が、

そこら中にそびえているので、

感動が薄くなるのが恐いほどです(笑)

そして、今回訪問した若宮神社も

その中の一つでした。

若宮神社へ

吉野ヶ里町から、

となりの神崎市まで、

車で10分ほど走ると

若宮神社に到着します。

「貫」の一部は修復され

色も違っていますが、

まさしく肥前鳥居です!

鳥居についての詳しい情報は

見当たらなかったのですが、

形からして、1650年前後に

建立されたものでしょう。

千代田町の重要文化財です。

三基の鳥居のすぐ横は、

今流行の太陽光パネルの

発電所になっています。

確かにここは遮蔽物もなく、

太陽が照りつける、

絶好の発電場所ですね!

発汗はするが、発電はしない

僕たちにも思い切り

日差しが照りつけていました(笑)

二の鳥居、三の鳥居の神額には、

どちらも「吉備津神社」の文字が

書かれています。

ご由緒。

1592年、豊臣秀吉が、

神馬を奉献して以来、

明治10年まで、代々藩主も

この神社に献馬していたそうです。

1592年と言えば、

文禄の役で秀吉が、

佐賀県の名護屋城に

来ていた時ですから、

秀吉の神馬奉献は、

戦勝祈願の意味が大きかったのかも

知れませんね。

戦勝とはならなかったものの

佐賀県に於いては、

秀吉の朝鮮出兵の副産物として、

朝鮮から同行してきた陶工、

李参平を祖とする有田焼がはじまり

現代においても人気の焼物になっています。

李参平が日本側に協力的だった背景には、

当時、朝鮮で技術者は奴隷か、

もしくは、

これに近い低い身分だったのに対し、

日本では逆に技術を持つ者は尊敬され、

将軍や藩主などからも貴族的な

扱いでもあったことで、

朝鮮の陶工たちの多くは日本に

渡ったのだと思われます。

神橋(石橋)を渡り楼門へ。

楼門。

透かし塀は、

新しい感じですが、

楼門はいい感じの古さです。

楼門の屋根の裏側には

素晴らしい彫刻が施されています。

素晴らしいですね!

いったいいつごろの

建立なんでしょう?

手水舎。

右の四角形の手水鉢が、

明和5年(1768年)、

左の六角形の手水鉢が、

寛政12年(1800年)、

なんとも凄いものを

発見しました。

そして、凄いものと言えば、こちら。

肥前狛犬!!

ちょっと大きめで、

彫りの浅さからして、

かなり初期型(江戸時代前期?)

ではないかと推測します。

扁平顔が愛らしい!

真横から。

吽形はソテツの葉っぱに隠れて?

佇んでいます。

少し腐食していますが、

まだまだ現役。

この素朴さ、

肥前狛犬ってやっぱり

心をほっこりさせてくれます。

拝殿。

「正一位」は一番上の位です。

凄い神社であるのは間違い無し。

拝殿左から。

本殿。

ブロックの上に建てられているので、

近年建て替えられたものかも?

本殿裏手の末社群とのどかな景色。

なんか癒される〜!

別の角度から。

稲荷神社。

参拝。

忠魂碑。

記念事業の石碑。

ここに書いてある「舞台新築」の

舞台はこちらです。

メインが大きなクスノキですが(汗)

オオクスと大きさの比較。

御神木はもう一本。

境内の入口付近のクスノキ。

末社群。

こちらも末社群。

そして、ここだけは

特別な造りになっています。

吉備津神社。

石垣の上に、

石の社殿が鎮座しています。

参道の三基あった鳥居のうち

二基の神額に「吉備津神社」と

書かれていただけあって、

以前はこちらがメインだったのかも

しれません。

吉備津大明神と書かれています。

一般的に、神仏習合が盛んだった

明治以前は、「大明神」が

使われていたようですが、

鳥居の神額には「吉備津神社」と

書かれていました…

という事はあの二基の鳥居は

明治以降に建立されたものかも

しれませんね。

 

最後に恒例のツーショットで〆。

鳥栖市から吉野ヶ里町、神崎市と

回った日帰りドライブはこれにて完了です。

 

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