和歌山縣護國神社(和歌山市)
好立地
和歌山縣護國神社が鎮座するのは、
和歌山城の一角です。
お城の案内図。
天守閣の右側、
不明門駐車場の横が、
和歌山縣護國神社です。
神社とお城、
そのどちらにも行きたい僕にとり、
両方を一挙に散策出来る、
願ったり叶ったりの好立地。
この組み合わせは意外と多く、
過去の訪問でも、
などがあり、
重宝させていただきました(笑)
参道
参道の起点は、
和歌山城の追廻門から入って
すぐ横の石垣に囲まれた場所です。
石垣の左側には、
神社の社号標が建てられています。
お城時代は石垣の上には
櫓か門があったかも知れません。
一の鳥居。
参道の左側には
和歌山城の天守群が見え、
神社参拝なのに気分は既にお城へ?(笑)
神様ごめんなさい(汗)
御社殿
ほどなくして、御社殿前に到着。
御社殿手前の二の鳥居。
お邪魔します(笑)
威嚇ぶりが凄い、阿形の狛犬。
吽形はちょっと弱気かな?(笑)
拝殿の両脇をクスノキが覆い、
右手前側には、
天皇皇后御親拝記念碑が
建てられています。
和歌山県神社庁のサイトによると、
コンクリ製の現御社殿は、
平成時代に再建されたもので、
昭和12年に建立された
旧御社殿は昭和の終わりに
不審火で全焼したそうです・・・
和歌山城の天守が焼失した
戦時中の空襲の惨禍からは
運良く逃れたのに、
まさか平和な時代に焼失とは・・・
神社が不審火(放火)で焼失する例は
意外と多いのですが、
やはり目の当たりにすると
心は残念感に支配されます・・・
御英霊の方々に参拝。
本殿。
ご朱印。
ツーショットも綺麗に撮れました(笑)
慰霊碑
次は慰霊碑へ。
陸軍少年飛行兵の慰霊碑。
「空」の文字は、
従軍作家でもあり、
徳川家康、全26巻を書いた、
山岡荘八の謹書です。
その「徳川家康」の本について、
Wikipediaよると、
「山岡は第二次世界大戦中、
従軍作家として
多くの特攻隊員を取材した経験があった。
その際に触れた日本の存続や
世界平和への祈りを胸に秘めて
散っていった彼らの思いを、
徳川家康の欲した「泰平」に
重ね合わせて描こうとした。
山岡は連載を終えた後書きを、
自邸内に設けた特攻隊員を祀る
「空中観音」小堂で書き記している。」
こう書かれています。
ここ徳川御三家の城に鎮座する
護國神社に於いて、
山岡荘八さんの謹書は、
必然だったのでしょう・・・。
満蒙開拓青少年義勇軍顕彰碑。
歩兵第二百三十聯隊の慰霊碑。
予科練、慰霊碑。
歩兵第二百十八聯隊の慰霊碑。
歩兵第六十一聯隊の慰霊碑。
藤棚
慰霊碑の並びには
藤棚があります。
右側の案内を読むと
「この円卓子は
元歩兵第六十一聯隊酒保の
藤の棚下にあったもので、当時歩兵達が
訓練の余暇にこの卓子を囲んで団らんし
ふるさとをしのんだのである。
終戦後この地に移して
永くこれを保存するものである。」
このように書かれています。
(酒保とは駐屯地や軍艦内で、
兵隊さんが使う売店の事)
なんだか兵隊さんたちが談笑する姿が
目に浮かんできます・・・
これは是非、
永久に残して欲しい・・・