山梨縣護國神社(甲府市)
鎮座地
Wikipediaによると
山梨縣護國神社の鎮座地について
次のように述べられています。
「現鎮座地である岩窪は
甲府藩主柳沢氏の菩提寺である
黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、
永慶寺は享保9年の甲斐国一円が
幕府直轄領化された際に
大和郡山に移転された。」
そして、もう一つ、
神社前で見つけたのが、
こちらの案内です。
「甘利備前守虎泰」
武田二十四将の一人、
甘利備前守虎泰屋敷跡です。
永慶寺が建立される前は、
武田家臣の居住地だった
という事かも知れませんね。
参道
躑躅ヶ崎館から車で数分、
山梨縣護國神社の社頭に到着。
鳥居前のスペースに車を
停められるのは有り難い事。
(メインの駐車場は
社殿近くにあったようですが)
S字カーブの参道。
石段へ。
手水舎。
二の鳥居。
さらに奥へ。
「参拝の道標」
「ここは平和の社です。
この社は護國神社といいます。
明治十二年十二月招魂社として
甲府市太田町に創建され昭和十九年
山梨県民総意により護國神社と改称し
この地にご遷座されました。
日本の美しい山河や家族を護るために
戦争で尊い命を捧げられた山梨県出身の
約二万五千人余りの方々を、
神様としてお祀りしてあります。
私たちが平和で豊かな
生活を送ることが出来るのは
この人達の尊い命の犠牲のおかげです。
「ありがとうございます」
と感謝の心をもってお参りしましょう。
これからも平和であるとともに
ご参拝により常識や道徳心を高め
勤勉努力して、健康と強い心を養い、
自らを護り
家族を護ることをお祈りしましょう。
山梨縣護國神社」
素晴らしいお言葉ですね!
まさに護國神社は平和の社ですから。
御社殿
ようやく御社殿に近づいてきました。
三の鳥居。
御社殿へ。
静寂な空間。
拝殿にて参拝。
本殿へ。
本殿に参拝。
ここには昭和18年5月、
玉砕したアッツ島の守備隊長
山崎保代大佐(戦死後中将)の
御霊も祀ってあります。
援軍も送らず(送れず)に、
安穏とした本土にいる上層部から
「玉砕命令」(全員死ね!)を出された時、
山崎大佐はどんな気持ちだったのでしょう。
いつの時代でも最前線を知らない
いや、知ろうともしない人は、
自己保身に走り、
自分勝手だと常々思います・・・。
境内社・慰霊碑など
まずは本殿左側へ。
何が祀られているかは不明。
祓戸(はらえど)と書かれていますが、
ここは車のお祓い場所かも知れません。
本殿右側の慰霊碑。
海軍の慰霊碑など。
僕たちが参拝している時、
神社の方が慰霊碑などを
掃除されていたので、
邪魔にならないよう
遠くから少しだけお参りしました。
満蒙開拓団の慰霊碑。
御朱印。
達筆で元気をいただける文字ですね!
最後にツーショットで参拝完了。
今日の癒やし
山梨縣護國神社のゆるきゃら?
あずきちゃん。
人懐っこくて、ホントに癒されました!