柳川城(令和3年柳川の旅)
柳河と柳川
地名というのは「読み」は同じでも
漢字が変遷している事例は、
星の数ほどあります。
例えば、「名古屋」は「那古野」など。
「柳川」という地名も、
江戸時代までは「柳河」と
書かれていたようですから
星の数の一つと言えるでしょう。
柳川城へ
田中吉政之像から歩いて、
柳川城へ向かいます。
昔で言う柳河城ですね(笑)
三の丸戌亥門、
通称、弥兵衛門跡を通過。
中学校横の堀。
敷地内に城跡の西北隅と書かれた
石碑が建てられています。
柳川城エントランス。
古写真には明治5年に焼失した
5階天守が写っています。
高さは35m位と書かれていますから
熊本城よりも高く、名古屋城に近い、
相当大きなものだったことがわかります。
田中吉政が建てた天守でしょうが、
これが息子の代に
改易された一因かも知れません。
(幕府の目を気にして
天守を建てなかった
外様大名もありますから)
本丸天守跡。
別角度から。
こちらは4年ほど前、
柳川城訪問時の写真、
こんな天守がそびえていました。
動画でも撮影。
本丸の真ん中にあるお地蔵様、
以前来た時には、
古木が立っていましたが、
切られてしまったようです・・・。
参拝。
愛らしいお顔に癒やされますね。
奥側から本丸を撮影。
案内。
戦国時代の柳川城は、
「二方が海、二方が沼堀縦横」
このように書かれ、
海城だったことが分かります。
今では全く想像できませんね。
階段で虎口へ。
従来の虎口かどうかわかりません。
虎口とは反対側の石垣。
鏡石も配置されていますので、
江戸時代のものかも知れません。
端っこの石には刻印があります。
やはり古いものかも?
全部が推測だらけ(笑)
本丸にてツーショット。
これにて散策完了です。