2024/07/10

善慶寺・妙経寺(橋本左内菩提所)

 

墓参の前に・・

橋本左内の墓所は、

左内公園という公園の一角にあります。

廃仏毀釈でお寺が無くなったから

お墓だけが存在しているという、

明治維新アルアルかと思いながら

訪問してみると、

公園のお隣には左内の菩提寺が

存在しているではありませんか!

調べてみると

第二次大戦の空襲で、

左内のお墓がある善慶寺が焼けてしまい、

お寺は妙経寺と合併して、

存続しているということなのです。

という事で、

僕たちは車を善慶寺の駐車場に停め、

墓参の前に、

まずはお寺を参拝する事に。

東横インから

早朝、柴田神社・北庄城跡を訪問し、

一旦、ホテル東横インに帰着。

部屋の窓からは、この後訪問する

足羽山あすわやまが見えています。

ズームして撮影。

桜が美しい足羽山、

この山の麓にあるのが、

橋本左内の墓所や菩提寺で、

ホテルからは車で約五分ほどの距離です。

善慶寺・妙経寺

二つの寺名がありますが、

ここからは善慶寺として書きます。

駐車場。

正面。

門柱の右側には「妙法寺」

左側には

「善慶寺 橋本左内先生菩提所」の札。

満開の桜の下を歩き本堂へ。

本堂。

戦時中の空襲で、

市街地の9割が焼けてしまったという

福井市には、

このようにコンクリ製の

近代的な寺社が多い気がします・・

空襲に遭っても焼けないようにとの

願いがあるのかどうかは分かりませんが、

これも地元ならではの特色なのでしょう。

参拝。

最初はここまでの予定でしたが、

何やら案内を発見!

「中に入って ご自由に お参りください」

これは・・あり難し!

そして、

案内を読むと本堂の設計者は、

福井神社(戦災で焼失後再建)を設計した

五十嵐直雄氏なのですよ!

以前見た福井神社の

衝撃的なデザインの鳥居は

今でも忘れられません。

こちらは7年前の参拝時に撮影した

福井神社の鳥居と拝殿です。

日本で唯一の鳥居かも?(笑)

話を戻して、

善慶寺本堂内部です。

お邪魔します。

整然とした本堂。

橋本左内の御位牌は左側。

参拝。

ミニ展示場

本堂内の壁は、橋本左内の

ミニ展示場となっていて、

文章の全てが小学校高学年で、

理解できるレベルなのが、

素晴らしいと思います。

左内の弟さんなど。

橋本左内の生涯(年表)

ここからは詳細な経歴。

医者の子に生まれ、

超秀才というか、

神童レベルだったようです。

大阪で勉強〜父の跡を継ぎ医者に、

そして江戸で勉強し、

福井藩の藩校で指導者に。

藩主松平春獄の命に従い江戸へ。

病弱な家定の次期将軍に

徳川慶喜を推すも、

井伊直弼の推す家茂に決定。

政争に敗れたものの常で、

罪人とされ・・・

安政の大獄により刑死・・・。

補足的な案内。

死罪となったのは、

井伊直弼が橋本左内を

恐れてのことだったのも

一因のようですね。

ここまでで本堂内の見学は終了、

お隣の左内公園へと向かいます。

 

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