知覧特攻平和会館/陸軍一式戦闘機隼
戦闘機に魅了された妻
妻は66歳過ぎて、
旧日本軍の戦闘機などに
俄然興味を持つようになりました(笑)
直接的なきっかけは、
会社の同僚のお子さんが、
戦争関連に興味がある事を聞き、
そこから戦闘機に魅了されたのですが、
その前の布石としては、
何度も書いて来た通り、
妻の前世が特攻隊員だからです。
何なだかオカルト話のようで、
変人なのと思われるでしょうが、
実際の妻は超が付くほどの陽キャラで、
そんな片鱗は全く見えません(笑)
ただ、
妻には前世や前前世の記憶と
旅先での現象が、
よく結びつくのです・・・
このような経緯もあり、
今までの神社やお城などに加え、
戦跡巡りや戦闘機関連の旅も激増し、
体がいくつあっても
足りない状態です(笑)
でも本当に足りないのは・・
軍資金か〜(汗)
「隼」(レプリカ)
鹿児島中央駅近くでレンタカーを借り
約1時間ほどのドライブで、
南九州市の知覧特攻平和会館へ。

駐車場に到着。

マップを確認。

特攻平和会館の参道起点にある噴水。
まずは参道を横切り、
第一目標である隼へと向かいます。

隼に到着。
以前知覧を訪問した時には、
戦闘機に全く興味なかった妻なので、
こちらの隼は初訪問(多分)です。

「陸軍一式戦闘機「隼」
以下、全文です。
3型甲(キ43-III甲)(レプリカ)」
「一式戦闘機「隼」(はやぶさ)は、
97式戦闘機(キ27)の後継機として
開発され昭和16(1941)年4月に
正式採用されました。
大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう)の
初期において
陸軍の主力戦闘機として使用され
「隼」の愛称で国民に親しまれました。
総生産数は5、751機で、
海軍の零式艦上戦闘機に続き
2番目に多く生産された戦闘機でした。
戦争末期になると特攻機としても使用され、
陸軍では97式戦闘機に続き、
2番目に多い171機が使われ、
そのうち126機が
知覧飛行場から出撃しています。
展示している機体は、
平成19(2007)年に公開された
”特攻の母”として知られる
鳥濱トメさんの視点から、
若き日の特攻隊員の青春を描いた映画
「俺は、君のためにこそ死にいく」の
撮影のために実寸大で
精巧に制作されたものです。
知覧特攻平和会館内にも
同型の機体を展示しています。」
ちなみに速度を
Wikipediaより引用すると、
高度6、680mで時速578Kmと
初期型(1型)の時速495Kmに比べ、
かなり進化しています。
ただ、戦争後期の米軍機と言えば、
時速700Km以上のマスタングはじめ、
高速化かつ重武装、
おまけに防弾設備も日本機に比べ、
より手厚いもので、
隼3型を持ってしても
相当苦戦していたのではと想像します。

正面から。

左翼側から。

燃料の増槽タンク。

右翼側から。

こちらの翼下には、
250kg爆弾が懸架されています。
もちろん特攻用としての装備ですね・・

左後方から。

真後ろから。
この隼、
実によく出来たレプリカで、
本物だと言われても
僕には見分けがつきません。

最後は妻の敬礼で〆。
特攻像「とこしえに」
次に特攻像へ。

正面から。

「特攻像「とこしえに」の由来」
以下、全文です。
「特攻隊は、遂に帰って来ませんでした。
国を思い、父母を思い、
永遠の平和を願いながら、
勇士は征ったにちがいありません。
特攻隊「とこしえに」は、
全国の心ある人々によって建てられました。
み霊のとこしえに
安らかならんことを祈りつゝ
リリしい姿を永久に伝えたい心をこめて
あゝ
開聞の南に消えた勇士よ
製作 日展審査員 伊藤五百亀先生
除幕 昭和四十九年五月三日
建設 知覧特攻慰霊顕彰会」

遠景。

銅像全体。

お顔アップ。
射抜くような眼差しと、
決意を秘めてキュッと閉じた唇に、
悠久の大義に殉じた若者の、
底知れない悲しみを感じます・・・

銅像横の自衛隊練習機。
平和になっても、
侵略国から故国を守ため、
日々訓練を重ねる自衛隊。
この飛行機の居場所として、
まさにふさわしいと感じます。