福岡縣護國神社/特攻勇士之像
最大の慰霊
名目は「志願」でも、
実際には「命令」(強制)に従い、
散華された特攻隊員の方々を想う時、
日本人の良さと危うさの
両面を感じます・・・
略奪や暴動などもなく、
お上の言うことに素直に従う気質は、
平時ならば良いのでしょうが、
緊急事態となると、
お上が言ったことが、
何かおかしいと思っても
それを絶対に言えない空気で
満たされてしまいます・・・
戦時を振り返った時、
一部を除き、多くの為政者は、
自分の命や財産は惜しくても
大衆の命や財産を慮ったりは
しませんでした・・
理不尽な命令で、
命を落とした人は数知れません・・
日本人の良き面での従順性を考えた時、
大切なことは、
誰もが政治に関心を持ち、
常に為政者に危機感を持たせる事。
戦前には出来なかったことも
今では18歳以上の全国民が、
選挙権を持っていますから
不可能ではないと思います。
名もなき一人一人が、
未来の日本を夫々に模索し、
過去の戦争で国に殉じられた
多くのご英霊が切に望まれていた
平和で豊かで美しい日本の姿を
お見せする事。
これこそが、
最大の慰霊であり供養だと思います・・
参拝
「みたままつり」のスペシャルイベント、
折尾神楽を楽しんだ後、
ようやく参拝へ。

提灯の明かりが幻想的な拝殿。

参拝後は、妻の強い要望で、
石鳥居近くに建つ、
特攻勇士之像へと向かいます。

側道から石鳥居方面へ。

ここで折尾神楽の大黒さんに貰った
紅白餅と記念撮影(笑)
特攻勇士之像
程なくして現地に到着。

僕たちの前には、
若い女性お二人が列ばれ、
それぞれ丁寧にお参りされていました。
若い世代が特攻の事を知り、
こうして慰霊なさるとは、
頼もしくもあり、
正直、嬉しいものです。

特攻勇士之像。
左の石碑には、
大切な内容が記されていますので、
全文を書き出します。

「私たちは決して忘れはすまい」
「日本が昭和十六年から二十年にけて、
日本の独立と存続とを守り、
且つ欧米列強から植民地化された
アジア諸国を解放するために
大東亜戦争で米・英・支・蘭、と戦い、
緒戦の赫々たる戦果にも拘らず、
戦い利非ずして戦況不利となる。
沖縄県にまで敵の上陸を許す事態となり、
この敵の圧倒的戦力を阻止するべく、
遂に一機一艇をもって敵艦に体当たりする
苦渋かつ壮絶な攻撃戦法を取らざるを
得なかったことを。
持てる力をすべて尽くして
散華された二十歳前後の
英霊の崇高な勇姿を
末永く後世に伝えるべく、
特攻隊戦没者慰霊顕彰会の協力を得て、
ここに設けた。
戦後の教育と謀略とにより
平和が個人主義に偏りがちな現代の人よ
福岡県出身の301名の英霊の名を
台座に収めしこの像を見て触れて、
自分の命に代えても護るものが
存在するということを考えて欲しい。
平成二十四年十二月八日
(大東亜戦争開戦記念日)
特攻勇士之像建立福岡県委員会」

参拝。

「みたままつり」という
護國神社にとっても特別な日、
そしてこの日は、
8月15日の終戦記念日でもあり、
御供えも豪華版ですね!

近くの「同期の桜」碑にも参拝。
「六助」とあるので、
福岡出身の元衆議院議員、
田中六助さんの事かと思い
Wikipediaで確認すると、
この方は、
ここに刻まれている、
海軍飛行科予備学生(第13期)出身で、
特攻隊の教官を務め、
その後、自身も特攻出撃する寸前、
終戦となったと記されています。

ツーショットを撮るため
再び本殿方面へ。

結局、
1週間前に息子の会社の
創立2周年記念をした
吉塚うなぎ屋の提灯と撮る事に(笑)
大鳥居前の吉塚うなぎ屋の
奉納提灯で始まった、
僕たちの「みたままつり」、
その〆も吉塚うなぎ屋でした(笑)