長興寺・参拝編(長岡市)

 

御由緒

長興寺には、御由緒などの

案内が無かった(多分)ので、

Wikipediaから引用します。

「元和4年(1618年)に上野国大胡藩の

曹洞宗寺院である

有鷲山長興寺の僧侶である

天室恵鏡が牧野忠成 の

越後長岡藩移封に随行して

長岡城下稽古町に建立。

藩主家である牧野氏の崇敬厚く

本妙寺 や栄涼寺同様に寄会組格の

待遇を与えたとされる。

また、長岡藩家老家の稲垣氏 、

山本氏などの重臣諸家の代々の菩提寺。

良寛愛弟子の孝室貞心尼の生家・

奥村家の菩提寺でもある。」

藩主の転封に伴い、

お寺のも一緒に引っ越しするという

江戸時代アルアルの事例です。

この関連で知ったのが、

良寛さんは現在の長岡市の生まれで、

お墓は長岡市の隆泉寺にあるという事。

凄い人物を輩出しているんですね、

長岡市は!

本堂

山本五十六の墓にお参りし、

その後本堂前へ。

道路から入って、

すぐ正面が本堂です。

参拝。

その他のお堂など

まずは本堂向かって左側の稲荷社へ。

参拝。

次に稲荷社と相対して建つ

お堂へと向かいます。

神社然とした二対の狛犬。

お堂のデザイン、

ちょっとお洒落ですね!

「烏沙宮」の扁額。

「宮」なので神社なのでしょうか?

ま、それはさておき、

「なんのねがいでも」

「なんのびょうきでも」OKだそうで、

ご利益満載です!

天井絵と招き猫たちがお出迎え。

ありったけの願いを

叶えてもらうべく、

心を込めて?参拝。

本堂右横の仏像群。

参拝。

次に気になるものへ。

八万四千はちまんしせん中」

「為大龍菩提」と刻まれた宝篋印塔は、

天保三年(1832)辰年の建立。

八万四千中とは、めっちゃ沢山の人が

これを寄進したと言う意味のようで、

右端の小さい宝篋印塔にも刻まれています。

右手に錫杖、左手に宝珠なので、

こちらは、お地蔵様ですね。

観音様でしょうか・・

頭の上の仏様が気になります。

ここまでで、

山本五十六さんのお墓参りと、

長興寺の参拝は完了。

ここで残すイベントはあと一つ・・・

ツーショット(笑)

長興寺では、

山本五十六さんのお墓参りが叶い、

そのほかの長岡の偉人、

そして良寛さんのことなども

知ることができ、

やはりここは、

「なんのねがいでも」叶うお寺でした(笑)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください