恵美須神社(呉市御手洗)

 

二つの伝承

恵美須神社の案内によると

創建には二つの伝承があります。

一つ目は、

「千砂子磯に夜な夜な光るものがあり

漁師が引き上げると

蛭子神像であったため祀った」

二つ目は、

「豊前小倉から祭神を遷した」

とされています。

海中で光るものを引き上げて

御神体にするという経緯は、

多くの神社の伝承に見られますし、

日本においては神仏習合が進み、

平安時代位からは、

神像も多く造られたので、

日本全国の海に落ちていたのかも

知れません(笑)

どちらを信じるというものではなく、

どちらもが大切な神社創建の

伝承として

今も尚受け継がれている事こそ

素晴らしいものだと思います。

恵美須神社へ

御手洗地区の最東端部分に

恵美須神社は鎮座しています。

みたらい散策絵図で見ると、

Vの字になった先端部分になります。

境内から海側を撮影。

この鳥居付近も、たまゆらの聖地。

海辺で輝く日本遺産、

北前船寄港地・船主集落の石碑。

船着き場である

雁木(復元)。

江戸時代には、恵美須神社の境内に

船が接岸していたという事になりますね。

雁木から海を臨む。

海中に見える雁木は

江戸時代のもののようです。

明治時代寄進の鳥居。

今は「縁結び鳥居」と

名付けられています。

昔の佇まいを見せる建物。

神社の神輿庫かも知れません。

櫓(やぐら)音頭の案内。

江戸時代の恵美須神社の大祭では、

四軒の茶屋の遊女が総出演し、

神輿の巡幸も賑やかだったそうです。

民謡研究家の町田嘉章氏が

御手洗に滞在した際、作った歌。

社頭。

相変わらず素晴らしい案内板。

道路整備で境内は、

寸断され、江戸時代の姿よりも

規模は縮小しているようですが、

古い御社殿を移転させず、

そのまま残してくれているので、

風情はそのまま残っていますね。

明和元年(1764年)再建の拝殿。

灯籠は、北前船の商人、

新屋吉左衛門が

寛政元年(1789年)に

寄進した古いものですが、

当時のままのオリジナルで

残っているのが、素晴らしいですね。

「瑞廣前」と刻まれています。

何のことなのか調べると、

「瑞」は、めでたいしるし、

「廣(広)前」は、

神殿の前庭という意味でした。

神殿が、いつもめでたくあるように

との願いが込められたものでしょう。

参拝。

右が拝殿、左が本殿。

凄い!この御本殿も

覆屋付きの檜皮葺ですよ。

案内によると、

元文四年(1739年)の建立です。

本殿は半埋め込み式とでもいうのか、

こんな形式は初めて見ました。

本殿のアップ。

先に参拝した、

住吉神社御手洗天満宮

そして、

ここ恵美須神社の三社全てが、

覆屋付きの檜皮葺屋根の本殿で、

建てられた当時

そのままの姿で残っているというのも

御手洗地区の貴重な財産ですね!

ここも大きな観光客誘致材料なのに

何もPRしていないのは勿体ないので、

ちょっとキャッチフレーズを

考えてみました。

「覆屋付き檜皮葺本殿達に

身も心も癒やされる御手洗地区」

長過ぎるし、

あまりにもマニアック過ぎか~(汗)

やっぱり、密かに楽しもう(笑)

 

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