江戸城(外桜田門・二重橋・伏見櫓)

 

日本一有名な門へ

江戸城で一番有名な門は、

誰もが教科書で習った

彦根藩主で大老の井伊直弼が

水戸藩士に襲撃された

「桜田門外の変」の桜田門でしょう。

もしかすると、

日本で一番有名な門かも知れませんね(笑)

江戸城での持ち時間が

少なくなった僕たちでもここだけは、

万難を排しても?行くしかありません。

というわけで、

江戸城の北東側の平川門から

桜田門まではワープ(笑)

江戸時代で言えば早駕籠、

現代で言えばタクシーを使い無事到着。

警視庁

桜田門の前にあるのは

中央官庁街のビル群です。

国会議事堂はじめ、

日本の中枢が集まっていて、

中でも刑事ドラマでよく見るのが、

警視庁のビルです。

お~警視庁だぁ~(笑)

実はこのすぐ真ん前が、

桜田門外の変の「現場」なのです。

もし江戸時代、ここに警視庁があれば、

井伊直弼さんは、

襲撃されなかったかな~なんて、

トンチンカンな想像をしながら

まずは桜田濠の風景の撮影へと向います。

桜田濠。

桜田門と高層ビル群も見えています。

桜田門。

僕たちが立っているあたりが、

井伊直弼襲撃現場のようです。

(背後には警視庁があります)

「外桜田門」

案内を書き出すと、

「国指定重要文化財

1961年(昭和36年)指定

桜田の名は、この地が古代に

桜田郷と呼ばれていたことに由来し、

江戸の主要道が通過する場所でした。

徳川家康入国直後の絵図には

「小田原口」と記載されています。

門周辺の石垣は、

1614年(慶長19年)

真壁藩(現在の茨城県)藩主

浅野長重によって築かれ、

寛永年間(1624~1644)に

門が建築されました。

門の周囲には、

有力外様大名の屋敷が多くありました。

1860年(万延元年)の桜田門外の変は、

彦根藩(現在の滋賀県)藩主で大老の

井伊直弼が屋敷から登城中に

水戸浪士に襲撃された事件です。

1923年(大正12年)の

関東大震災で門が壊れましたが、

再建され現在に至っています。」

このようになります。

また、少し離れた場所に

もう一つ案内があり、

案内には二つの桜田門の

位置が記されています。

分かりやすい屏風絵ですね!

説明がダブるところを割愛し要約すると

「旧江戸城 外桜田門

現在この門は桜田門と呼ばれますが、

正式には外桜田門といい、

本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対して

この名が付けられました。

外側の高麗門と

内側の渡櫓門の二重構造からなり、

外枡形という防御性の高い城門で、

西の丸防備のため

異例の大きさで造られました(320坪)。

現存する門は

寛文3年(1663年)に

再建された門がもとになっています。」

このようになります。

門に向かって右側の凱旋濠。

高麗門前には工事車両があり、

案内に「石垣除草」の文字を発見。

そう言えば、さっきみた石垣に

人がいたような?

再度確認してみると・・・

こんなにして石垣を

美しくメンテナンスして

くださっているんですね!

ある意味、命がけですよ!

作業されている方々には、

ただただ、感謝しかありません。

門前から振り返ると、

国会議事堂の頭が見えています。

高麗門から枡形へ。

枡形から高麗門、警視庁側を撮影。

高麗門から見える国会議事堂。

江戸時代の政庁と

現代の政庁のコラボかな(笑)

江戸城の枡形の中で最大級の

巨大な枡形の全景。

テニスやバスケットが出来そうです(笑)

渡櫓門。

切込み接ぎの石垣の色が、

カラフルで、オシャレですね!

城内側から見た渡櫓門。

渡櫓門の切込み接ぎと

西の丸石垣の打込み接ぎ、

新旧の共演(笑)

ここで江戸城攻略?記念のツーショット。

二重橋濠と桜田門。

警視庁と桜田門。

二重橋

桜田門から少し歩くと、

超有名な二重橋が見えてきます。

お~見えた~(笑)

「正門と二重橋」

案内を書き出すと、

「ここは皇居の正門にあたります。

手前に見える橋が「正門石橋」、

奥の橋が「正門鉄橋」です。

後方に、現存する数少ない

江戸城の櫓の一つである伏見櫓が見え、

その右手には樹木に隠れて見えませんが、

宮殿があります。

正門鉄橋は、かつては木橋で、

その下に橋桁を支える

もう一つの橋があったため、

二重橋に架けられた橋という意味で

「二重橋」と呼ばれています。

しかし、正門石橋と正門鉄橋の

二つの橋を総称して

「二重橋」と呼ぶ人も少なくありません。

これらの橋は、

天皇陛下が国会開会式などのために

外出される際や、外国の君主、

大統領、大使来訪などの

特別な場合のみ使用されますが、

新年や天皇誕生日の一般参賀では

一般の方々も渡ることができます。

正門石橋と正門鉄橋が重なり、

その裏に伏見櫓が見える

皇居外苑からの眺めは

皇居を象徴する景色として

親しまれています。」

このようになります。

二重橋の意味は、

どうやら二つあるようですね。

正門と二重橋。

テレビでよく見る光景。

橋の正面。

街灯のライオンの足に注目。

こちらが案内されていた

もう一つの橋、正門鉄橋です。

伏見櫓

二重橋とともに

セットで見られる伏見櫓ですが、

皇居内なので、

近寄ることはできません。

ズームにて撮影。

京都、伏見城から徳川家光が

移築したという説がありますが、

根拠となる資料はないそうです。

最初の予定変更

ここまでで江戸城の散策は終了。

次は、予約しておいた

「お濠から石垣が見られる船」に

乗るべく日本橋へ!

と思ったところ、

その直後、一通のメールが・・・

ほんの小雨なのに中止か!

しかし、東京湾クルージングさんの

「安全第一」の方針には大賛成。

ただ、完全に乗れると思っていた僕に

別プランは無し(汗)

ところが、

これが思わぬ楽しい展開に

繋がったのです!

 

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