栄凉寺・本堂(新潟県長岡市)

 

長岡市

花火大会で有名になった長岡市ですが、

今回の旅で長岡市のことは

全く考えていなく

新潟市の北側、新発田城しばたじょうなどへの

訪問を決めていました・・・。

ところが、旅の数日前、

偶然テレビで幕末の長岡藩家老、

河井継之助かわいつぎのすけの事を見たのです。

以前、映画「峠」の番宣に関連して、

林修先生も河井継之助推しで、

熱く語っていたのを思い出し、

妻も「お墓参りがしたい!」という事で、

急遽、新発田城をやめ、

旅の一日目は、

全て長岡市内を巡ることに決定。

河井継之助さんが呼んでくれた長岡市、

あまりにも見所が多すぎ、

行けなかった場所だらけで、

今持って消化不良のままです(笑)

相棒と合流

福岡から新潟の日本列島空中散歩で、

能登半島や佐渡島などを

大いに満喫した僕たち。

その余韻も冷めないまま、

新潟空港のレンタカーカウンターへ。

デカイのですよ、新潟空港は!

日産レンタカーで受付し、

外に出て、お迎えの車を待ちます。

空港ビル正面入口。

お迎えの車。

数分後、お店に到着です。

ここで相棒(レンタカー)と合流し、

長岡市へ向け出発。

栄凉寺えいりょうじ

新潟空港から

高速道路を使って南に向かい、

約1時間ちょっとで、

河井継之助が眠る、

長岡市の栄凉寺に到着。

ちなみに栄凉寺の「凉」は、

「涼」ではなくて、

珍しく「二水」なんですね。

参道入口。

左の標柱には、

「長岡藩知名士の墓

「牧野忠訓 河井継之助 三島億二郎」と

3人の名前が刻まれています。

地蔵菩薩に参拝。

「栄凉寺墓地内知名士の墓」

抜粋すると以下になります。

「光輝山栄凉寺は、

長岡藩主牧野氏の菩提寺。

牧野氏が三河国牛久保

(愛知県豊川市)城主時代に創建。

牧野氏の移封に伴って、

上州太胡おおご(群馬県太胡町)を経て、

現在地に移った。

境内の墓地には、

長岡藩出身者の知名士の墓が多い。」

「浄土宗 栄凉寺」の標柱。

手前左右の少し低い標柱には、

左右ともに梵字の下に

「為忠良院殿菩提」と刻まれています。

「忠良院殿」とは、

河井継之助の戒名ですので、

このお寺にとって、

河井継之助さんの大切さが

伺い知れます。

左から鐘楼、本堂、豊川稲荷。

まずは、参道左側の鐘楼へ。

渋い石垣上に建つ鐘楼。

梵鐘。

池の間(いけのま)には、

「大東亜戦争中昭和十七年

應召供出しを再鋳」

このように陽刻されています。

物体でも人と同じ「應召」なんですね・・

それだけ、人々の愛着があった

梵鐘だったのでしょう・・・

梵鐘について書かれた

小林虎三郎の詩碑。

詩碑についての案内を

抜粋します。

「北越戊辰戦争では非戦派で通じ、

戦後は焦土と化した

長岡の復興に尽力され、

支藩である三根山藩から見舞いに送られた

「米百俵」を売却し、その資金を元に

「長岡百年の大計は教育にあり」として

国漢学校を設立しました。

幕末時代の小林家は当寺院より

約二百米ほどの所にあり

朝に夕に鐘の音を聴いて

おられたことと思います。」

以前、小泉純一郎首相が演説の中で、

「米百俵の精神」を引用し、

流行語大賞にもなったお話が、

今頃理解できました(笑)

戦没者供養塔。

戊辰戦争〜太平洋戦争までの

戦没者を合祀しています。

参拝。

お地蔵様と不動明王様。

参拝時には気づかなかったのですが、

ブログを書いていて

目に止まったのが、

お地蔵様の下の小さな仏像です。

間違いなくアフロへアですね!

これって、京都、金戒光明寺

アフロ仏像と同じ系統の

仏像かも知れません。

ちなみに金戒光明寺で撮った仏像は

こちらです。

なんだか、

お顔も似てるような・・・?

この後は、参道右側へ。

本堂と豊川稲荷(左)。

豊川稲荷参道。

長岡藩主、牧野氏は豊川の人。

なので、

地元の豊川稲荷を

大切にされてきたのでしょう。

ご本尊の「豊川吒枳尼眞天」

(とよかわだきにしてん)の扁額。

参拝。

次に本堂へ。

参拝。

案内の一部を抜粋すると

以下になります。

「開基 元和五年(1619)

宗派 浄土宗(宗祖・法然上人)

寺号 光輝山月照院榮凉寺

元和五年五月に長岡藩主に移封された

牧野忠成公によって回帰されました。

維新の激動に翻弄され、

慶応四年(1868)の北越戊辰戦争では、

当寺は西軍の野戦病院となり、

同年七月に至って

長岡城奪回戦で長岡藩士によって放火され

境内伽藍は全て消失、墓石の半数以上が

倒壊されてしまいました。

現在の伽藍は明治二十五年

梵鐘の再鋳と鐘楼の上棟。

同三十七年庫裡の再建、

同三十八年土蔵造りの

本堂再建の落慶法要が厳修され、

現在に至っております。」

ここで注目は「宗祖・法然上人」です。

先ほどのアフロ仏像の

金戒光明寺も宗祖は法然上人ですから

アフロ繋がり(笑)、

なにかあるかもですよ!

今日の不思議

本堂の屋根の天辺に乗った

不思議なものを発見しました。

牧野家の家紋、丸に三ツ柏の上に

配置された謎の物体。

避雷針でもなさそうですし、

反対にするとコート掛けかな?(笑)

装飾なんでしょうか・・不思議です。

(河井継之助の墓編に続く)

 

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