第一次大極殿(奈良市)
食わず嫌い解消
平城京自体に興味が無かった僕。
過去数回、奈良に行きましたが、
訪問予定地の候補にも
挙がっていませんでした。
ところが、今回の旅で、
光明皇后の足跡を辿ると
どうしても平城京に行き当たってしまい
結局、「行くしかない」(笑)
となったのです。
現在、平城京の跡は、
「平城宮歴史公園」として整備され、
1300年前の姿を
あの手、この手で現代に蘇らせています。
食わず嫌い的な状態だった
平城京跡ですが、
実際に行ってみると、
大変美味し~く食べられ、
それ以上、
お代わりしたいくらいに
のめり込んでいる僕がいます(笑)
宮内省の復元建物
遺構展示館の職員さんに、
大極殿までのルートを教えて貰い、
そのお言葉に従って歩き始めると
遺構展示館の南側に復元された
平城京の建物が見えてきます。
エントランス。
「宮内省の復元建物」
案内を抜粋すると
以下になります。
「内裏東側の
この一画で見つかった建物群は、
天皇家のための仕事をする
宮内省関係の役所とみられている。
築地塀で囲まれた
東西約50m南北約90mの
区画の中には、
瓦葺きの正殿を中心に
檜皮葺の脇殿や倉庫など
6棟の建物があった。」
門から中へ。
案内に書かれた
「瓦葺きの正殿」は
基壇と礎石のみとなっていますが、
その他は、復元され、
当時の姿を楽しめます。
大極殿へ
ここは全てが平坦な道なので、
体力低下中の僕たちも
何とか大極殿まで辿り着けそうです(笑)
道案内版。
第一次大極殿と第二次大極殿の
位置関係がよく分かります。
遺構展示館で紹介されていた井戸(跡)
ここには、1300年前、
こんなものがありました・・・
巨大な杉をくり抜いて造った井戸枠。
大極殿
少し歩くと大極殿が見えてきます。
2010年に復元された
第一次大極殿。
この大極殿は、
奈良時代の715年頃から
740年頃まで、
25年間ほど使用されていたようです。
近影。
正面。
右側面。
入口は裏側。
大極殿内部。
「ごあいさつ」
抜粋すると
「あをによし 奈良の都は 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり」と
万葉集に詠まれた平城京は、
奈良時代の70余年間、
日本の首都として栄えました。
その北端部に位置する「平城宮」には、
天皇の住まいである内裏、
儀式や政務を行う大極殿と朝堂院があり、
役人等が勤務する
役所群が立ち並んでいました。
大極殿は、天皇の即位の儀式や
元日朝賀などの国家的行事を行う
平城宮の中でも最も重要な建物でした。
第一次大極殿は
平城遷都1300年に当たる
平成22年に完成いたしました。」
このようになります。
冒頭の有名な句、「あをによし・・・」は
福岡の太宰府で小野老が詠んだ歌なので、
福岡県民としては、
ちょっと嬉しくなってしまいますね(笑)
大極殿の概要。
内容を抜粋すると、
「大極(太極)とは宇宙の根源のことで、
古代中国の天文思想では
北極星を意味します。
大極殿は和銅8年(715)には
完成していたと考えられています。」
このようになります。
大極殿での営み
要約すると
「内部には高御座が配置され
天皇は即位式や元旦朝賀などの
国家儀式の際に、大極殿に出御して
高御座に着座しました。
貴族は、
大極殿の南に広がる内庭に立ち並び、
大極殿の天皇を拝しました。」
このようになります。
元旦朝賀、現代で言えば
正月の皇居一般参賀のような
光景でしょうか(もっと厳かか?)
発掘調査。
復元。
資料が無いので、
恭仁京の大極殿跡や、
法隆寺金堂、薬師寺東塔など
古代建築物を調べて
復元されたと書かれています。
実物大の鴟尾と妻(笑)
大きさの比較でしたが、
妻が手前過ぎて巨大に?
写ってしまいました(汗)
「鴟尾」
案内を書き出すと
以下になります。
「屋根の一番上(大棟)の
両端につける鴟尾。
鴟尾は平城宮大極殿でも
恭仁宮大極殿でも
出土していませんが、
当時、格の高い建物には通常、
鴟尾をのせていましたので、
元々なかったとは考えにくく、
鴟尾が金属でつくられ、
溶かされて再利用されたために
残らなかったと考えられます。
高さは平安宮大極殿のために
つくられたと想定される鴟尾をもとに
約2メートルと考えました。」
これを読んで思い出したのが、
難波宮の存在が確定的になったのは、
「鴟尾」の発見でしたから
実に貴重なものだったこと
この案内を見て改めて感じた次第です。
高御座。
高御座外観模型
奈良時代の高御座についての
資料は無いため、
大正天皇即位の際に
作られた高御座を基本に
正倉院宝物などを参考に
作られたと書かれています。
正面。
天井絵について。
天井を見上げると、
蓮の花が見えています。
ズームして撮影。
大棟中央飾り。
「大棟中央飾り」
案内を書き出すと、
以下になります。
「屋根の一番上(大棟)の
中央につける「大棟中央飾り」は、
中国に見られ、古くは鳥形でした。
隋代以降は宝珠形となり
意匠は多様化します。
日本でも西大寺薬師金堂に
載せられていたことが
文献から知られます。
第一次大極殿の大棟中央飾りの形は
法隆寺東院夢殿の宝珠を参考にし、
総高は約2メートルと考えました。」
高御座の前から見た
大極殿の南に広がる内庭と南門。
奈良時代はこんな光景だったのですね!
御製(天皇陛下が詠んだ歌)
最後に観覧したのは御製の碑です。
現在の上皇陛下の御製。
「研究を 重ねかさねて 復元せし
大極殿いま 目の前に立つ」
復元を成し遂げた方々への感謝と
奈良時代のご先祖様への思いとが、
ぎっしりと凝縮されていますね!