鹿児島城御楼門(鹿児島市)
岐阜県からの贈り物
再建された御楼門には、
岐阜県から贈られた
ケヤキも使われていて、
これは江戸時代中期、
宝暦の治水事件ともと呼ばれる
幕命を受けた薩摩の藩士たちが
多大な犠牲をはらいながらも
治水工事を完遂したことで出来た
鹿児島と岐阜の絆からくるものです。
関ヶ原の戦いで敗戦直後
家康の陣をかすめて退却した、
島津の退き口の舞台も岐阜県ですから
岐阜と鹿児島、
地理的には遠くても
なにかにつけご縁があるようですね。
御楼門(城内側)
黎明館の駐車場から少し歩くと、
御楼門の城内側が見えてきます。
正面から。
桝形虎口、斜めから撮影。
この日は定休日なので、
枡形や門の中には入れませんが
僕たちの目的は全体を見る事、
なので、問題無し(笑)
天璋院像
御楼門の正面に回るため、
歩いていると、
鹿児島城跡(黎明館敷地)の一角に
平成22年建立の、
天璋院(篤姫)像が見えてきました。
天璋院は、
薩摩から江戸幕府十三代将軍、
徳川家定の正室となり、
夫の死後も激動の時代を乗り越えた人で、
大河ドラマにもなっていますね。
銅像の制作は、
鹿児島出身の中村晋也氏で、
伊集院駅前の島津義弘公や、
菊池市の菊池武光公騎馬像の
作者でもあります。
ん?
台座に僕の下半身が写っていますね(汗)
天璋院の視線の先には御楼門。
いつしか御楼門が再建される事を思い、
ここに天璋院の像を配置していたとしたら
その人は、恐らく天才です(笑)
御楼門(表側)
北御門を通り、
まずは薩摩義士碑へ参拝後、
その後、
御楼門の正面側へ向かいます。
鹿児島城名物、「入隅」。
鬼門である艮(北東)をかわすため、
角を落として作った石垣です。
「城をもって守りと成さず
人をもって城と成す」
そんな趣旨で造られた鹿児島城でも
やはり、鬼門は大いに
気にしていたのですね。
新旧の石垣が混じった先に、
御楼門が見えています。
城内(黎明館敷地)にいた時は、
曇っていたのが、ここに来て
青空だらけじゃないですか!
雨から曇り、そして青空と
御楼門さん、僕たちの訪問を
喜んでいるのかな?(笑)
さらに近くへ。
正面。
約3年前に来た時撮影した、
まだ御楼門が再建される前の風景。
比較すると、やはり建物はあった方が、
数段、城の雰囲気が出ますね!
左前から。
さらに遠くから。
どんだけ見ても見飽きません。
鯱と鬼瓦もかっこいい!
御楼門の案内。
動画も撮影。
石垣の紹介
3年前と変わった点は、
ここにもありました。
何と、実物大の石垣を作って
一つ一つ説明しているのです。
案内。
三種類の石垣。
石垣の角に使われる
算木積みの紹介。
亀甲積み。
金場取残積み。
これは、初耳ですね!
案内を読むと、
「石材の縁を削(はつ)る
加工を行う積み方です。」
「御楼門の周辺は
石材の縁(金場)に
漆喰を塗った珍しい
仕様になっています。」
このように書かれています。
各石垣はこのように
積み方断面図の実物までが
しっかりと用意され、
特段お城好きでなくても
興味が持てる方はいるでしょう。
ここでツーショット完了。
城内を通って駐車場へ。
御楼門、ありがとう!
黎明館駐車場から、
次の目的地、
日置町の大汝牟遅神社へ。
今日の一枚
御楼門向かって左側の
石垣上に見えた行幸記念碑。
城内ではなく、
城外に向かって建っているのが、
ちょっと斬新でした。