観音寺城(近江八幡市)本丸

 

城主と家臣が同居

毛利元就の居城だった

広島県安芸高田市の郡山城は、

山城の中に城主と家臣が

一生に住んでいた事で、

有名ですが(マニアだけ?笑)

観音寺城を巡ってみると、

ここも家臣団の広大な屋敷が、

山城の中に点在し、

城主との緊密な連携が

取れていた気がします。

戦国時代後期、

城主が家老を謀殺した

「観音寺騒動」と言われる事件で、

城主と残った家臣達との

信頼関係が損なわれ、

最終的には、

信長により観音寺城は落城しますが、

佐々木六角氏が繁栄できた一因は、

こんな所にもあったのでしょう。

本丸へ

大石垣から本丸へは、

ひたすら山と石段を登ります。

大石垣をスタート。

行きがけ、

赤トンボが止まっていた石に、

今度はハエちゃんが止まって、

僕らを見送ってくれました(笑)

池田丸を通過。

突き当たりに見える

平井氏屋敷跡(平井丸)石垣を右へ。

この石段を登れば本丸です。

この日はとにかく

「石段」だらけの一日(笑)

崩れた雰囲気も

中世山城の醍醐味です。

水門も完備。

もうすぐ本丸。

本丸

大石垣から15分ほどで本丸に到着。

曲輪の平坦部には椿が植えてあって、

なんだかお家のようになっています。

椿の花アップ。

家の中の妻(笑)

「観音寺城跡」の案内。

案内板の年季の入り具合と

内容などからして、

昭和時代後半に

建てられたものでしょうか・・・

内容を書き出すと、

以下になります。

「観音寺城は、近江守護

佐々木六角氏の本城であって

中世の代表的な大山城である。

築城は永い年月を経て

応仁二年(1468)に完成し

さらに光治年間(1555〜1558)

鉄砲に備へて

大々的に石畳が改修されている。

永禄十一年九月織田氏は

当城に入城したが城は元のまゝ残し、

佐々木氏に守らせたが

天正十年(1582)

安土城とともに滅亡した。

昭和44・45年

近江風土記の丘の関連として

本丸付近を整備し発掘調査し

当時の遺物や遺構が発見された。

なを全山いたるところに昔を偲ぶ

遺構が数多く残っている。」

織田信長が奪取した後も、

佐々木氏が入っていたというのは、

初めて知りました!

石垣。

虎口。

場外側から見ると、

食い違い虎口であるのが、

よくわかります。

井戸跡(大夫井戸伝承地)

本丸石垣のすぐ外に

井戸跡があるようなので、

行ってみることに。

右に行くと

桑寶寺(くわのみじ)の山林境内で、

入山料は別途必要ですが、

井戸跡は、

既に入山料を納めている左側の

観音正寺の境内なので、

ギリギリセーフ(笑)

石垣を見ながら少し下ります。

凄いじゃないですか!

こんな井戸が残っているなんて。

標柱を確認しさらに奥へ。

なんと、水がありますよ!

今でも現役・・・

とは言い過ぎですが、

戦国武士達が飲んでいたであろう

井戸水まで見られるとは、

遺構としては一級品ですね。

ここまでで、

観音寺城の山側の散策は終了し、

一旦、観音正寺の境内へと

向かったのですが、

境内に着く直前、

嬉しすぎるサプライズが

僕たちを待っていたのです!

もちろん、

この時はまだ知らない僕たちでした。

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください