鬼城山ビジターセンター(総社市)

 

大和朝廷の本気度

663年、日本(倭)が、

白村江で唐・新羅連合軍に

大敗した直後、国土防衛の為、

百済亡命貴族指導のもと

大和朝廷が西日本各地に造った

巨大な朝鮮式山城は、

「古代山城」「古代朝鮮式山城」と

呼ばれていて、

そのひとつが岡山県の鬼ノ城きのじょうです。

日本が攻め滅ぼされるかも知れない、

だから

「国家を存続させる為には、

やれる事は全てやる!」。

大和朝廷の

「高い危機意識」と「本気度」が、

圧倒的なスピード感をもって造らせた、

多くの巨大な山城・・・

その鉄壁の城の存在を知って、

唐・新羅は日本侵攻を諦めたのかも

知れません・・・。

ローマ時代の偉い人の言葉、

「平和を欲するならば、

戦争の備えをせよ」、

孫子の兵法での

「百戦百勝が最善ではない。

戦わずして相手を制するのが、

本当の最善策である」

こんなフレーズを

実践したとも言えます。

今の日本だって、白村江の戦い後と

さほど変わらない国際情勢でしょう。

しかし、巨大山城に匹敵するような

「切り札」は見当たりません(汗)

そんな子孫達の姿を見て、

大和朝廷の人達は、

どう思うのでしょう・・・ね(笑)

岡山で富士山に出会う

妻は富士山に愛された女(笑)

妻を伴って

静岡県や神奈川県に行くと、

曇りの日でさえも

富士山がその勇姿を見せてくれます。

そして、奇跡は、

鬼ノ城の駐車場で起きたのです!

駐車場からビジターセンターに

向かおうとすると

突然妻の雄叫びが(笑)

「富士山だ~!!」

僕がビックリして、

妻が指差す方向を見ると・・・

お~!確かに富士山です(笑)

まさか、岡山県の山奥で、

富士山ナンバーを見つけるとは、

やはり妻は富士山に愛された女ですね!

展示棟

富士山でテンション上がった僕たち(笑)

鬼の城散策前に、

ビジターセンターの展示館で、

事前情報をGETします。

エントランス。

展示館内。

「古代山城とは」

冒頭に書いた経緯が書かれています。

「鬼ノ城(指定名称 鬼城山)」

案内を抜粋すると

以下になります。

「鬼ノ城の名は古くから伝わる

吉備津神社の縁起に、

吉備津彦と温羅うらの伝承の中で登場します。」

「1971年に古代の山城として発見され

その7年後、調査により城の大きさや

城壁の様子などが明らかになりました。」

「鬼ノ城をとりまく景観」

「鬼ノ城の概要」

「鬼ノ城は壮大で堅固な古代山城です。

全長は2.8km、城内の面積は

約30ha(東京ドームの6.4倍)で、

基礎に列石を配し、

その上に土塁が大半を占め、

城門4ヵ所、水門6ヵ所、角楼1ヵ所、

一部石垣で構成されています。」

このように書かれています。

「四つの城門」

文章を抜粋すると

以下になります。

「四ヵ所ある門のうち

特に西門は残りが良く、

門の大きさも南門と並ぶ、

鬼ノ城最大の城門になることが

わかりました。

さらに防御力を高めるために

角楼を近くに築いています。」

敵は西側から攻めてくると考え、

防御を徹底したのかも

知れませんね。

「古代の土木技術」

「石垣・城壁などを築くには、

多くの労働力が必要で、

試算によると延べ数十万人が

動員されたと想定されます。」

このように書かれています。

日本の人口が500万人位だった頃、

数十万人を動員するとは、

想像ができませんね!

しかも同じ時期、同じ規模の城を

30ヵ所も造っているのですから

当時の日本人の大半は

城を造っていたのかも知れません・・・。

版築層の剥ぎ取り展示。

ミルフィーユ状になった版築が、

実によくわかり、

これは素晴らしいですね!

「版築土塁」

「版築工法とは、

壁となる位置に柱でおさえたせき版を置き、

内部に土を入れて一層ごとに

つき固める工法を言います。

版築はたいへんな

労力を費やす作業ですが、

その盛土は非常に硬く、

発掘調査の作業では、

しばしば鍬の先に火花が散るほどでした。」

「高石垣」

「敷石」

この敷石は、

古代山城でも

鬼ノ城だけに見られるもので、

指導にあたった百済の山城でも

見られたいと書かれています。

「水門」

「土手状遺構」

「城内施設と出土遺物」

「鍛冶工房跡」

「西日本の古代山城」

この写真は福岡県の

御所ヶ谷神籠石こうごいし

中門の石垣ですね!

(ここでは「御所ヶ谷城」と表記)

「武装する大和朝廷

古代山城は西日本に

約30ヵ所が存在すると言われ

現在23ヵ所が確認されています。」

このように書かれています。

30ヵ所も山城を造るとは、

徹底しています。

やはり、

「武装=戦争回避」

これなんですね。

攻めても大損害が出ると予測されるなら

「やっぱ止めとくか~」ってなりますから。

大和朝廷さん、まさに慧眼でした。

「垣間見る古代山城の勇姿」

ここでは、

福岡の大野城、水城、

長崎県対馬の金田城、

香川の屋嶋城など

西日本各地の

古代山城が紹介されています。

「その後の鬼ノ城」

超訳すると

「8世紀前半には廃城になり

平安時代は、

山岳仏教の修業の場としての

一大聖地となる。

地元に伝わる温羅伝承も

史実ではないが、

この鬼の城を居城とした温羅と

吉備津彦の戦いの物語と

なっています。」

このようになります。

唐との必死の外交が功を奏し、

城は不要になったのでしょう。

大和朝廷、ホント頑張ったな~!

鬼ノ城ジオラマ。

側面。

これ、南国の民族の盾かと思ったら、

こんなところに使われていたものでした。

西門(復元模型1案)。

立体的な形が

判明していないという事で、

2種類が展示されています。

西門城内側。

西門(復元模型2案)

城内側。

ここまでで、見学は完了。

これで、予備知識のインプットは、

バッチリ?です(笑)

 

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