清末護國神社(清榮神社)

 

案内表示

清末八幡宮の東廻廊の社務所には、

清末護國神社への案内があります。

すぐお隣ですから

分かりやすいのですが、

こうして案内があるのは、

やはり嬉しいもの。

神社さんの優しさに感謝です。

東廻廊を護國神社境内から撮影。

護國神社へ

東廻廊から真横に行くのが

護國神社への近道ではあるものの

僕たちはいつものように、

正面の一の鳥居から参拝を開始。

左の廻廊に囲まれた建物が、

先に参拝した清末八幡宮で、

その右の鳥居が見える方が

清末護國神社(清榮きよさか神社)です。

護國神社境内全景。

そしてこの時、

清末神社参拝時と同じく、

またもや飛行機が上空に飛来!

神社の上空を

日の丸をつけた単発機が、

何度も旋回している姿は、

護國神社の御英霊の皆様から

歓迎を受けている気がします・・・

気分も高揚した所で、

鳥居をくぐり、さらに先へ。

立派な石玉垣に囲まれた御社殿。

お邪魔します。

「清末護國神社 由来」

案内を書き出すと、

以下になります。

「明治十三年当清末藩主

毛利秀元外八柱を奉祀し

清栄神社として創建せられ

昭和三十三年に清末八幡宮に合併された

同年の二月元清榮神社の社殿に

藩主毛利家の家統九柱ならびに

明治の初めより国事に尽くされた

七十七柱の御霊を祀り

清末護國神社として

奉斎されたものである

祭日は四月第二日曜日

ここに清末護國神社の由緒を記し

敬神の念を厚くし子々孫々に伝える

昭和四十八年四月吉日

清末傷痍軍人会」

ここで書かれた毛利秀元さんは、

関ケ原の戦いでは、

南宮山の本陣から動かず、

石田三成の参戦催促の使者に

「弁当食ってるから今は動けない」

と返答し、

「宰相殿の空弁当」として有名な人ですが、

一方、

幕府との付き合いは抜群に上手く、

三代将軍、徳川家光とは仲良しになり

家光さんが描いた

フクロウの絵まで貰っています。

こちらが以前「下関市立歴史博物館」を

訪問した時に撮影した秀元さんが

家光さんから貰った絵の実物で、

家光さんの優しい人柄が

垣間見える作品です。

小ぶりながらも

高蘭付きの立派な拝殿。

神額は二つ。

参拝後、拝殿から本殿へ。

拝殿の屋根瓦には毛利家の家紋、

「一文字三つ星」が

これでもかという位(笑)

多用されています。

真横から見た拝殿と本殿。

本殿にも参拝。

清榮神苑

護國神社向かって右側には、

芝生で覆われた、

寛ぎスペースがあります。

清榮神苑全景。

大正時代に建てられた

「清榮神苑」の石碑。

建てられた頃はまだ

護國神社ではなく、

清榮神社のみだった頃ですので、

この名前が付いているのでしょう。

猿田彦大神

帰りがけ、

車の中で気づいたのが、

猿田彦大神です。

「導きの神様」ですから

本来ならば最初に参拝するのですが、

今回は最後・・・

ま、気付いたことだけでも

良しとしましょう(笑)

 

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