金戒光明寺(京都市)御影堂

 

実体験

仏教には多くの宗派があり

正直、

僕にはあまり分かりません。

でも金戒光明寺の案内で、

これでもかという位に、

「法然上人」「浄土宗」を目にして、

ようやく、

あ〜浄土宗は法然上人なんだと

体で覚えた次第です。

やはり

実体験って大切ですね(笑)

山門

総門から入って少し行き

左に折れると石段があり

その先に巨大な門が見えてきます。

山門。

「浄土真宗最初門」の扁額。

門の左右には、

こんな「小屋」が設けられ、

門への階段が付いています。

これって、何の役目をする

小屋なんでしょうか?

全く不明です。

左側の小屋。

山門下からの風景。

勢至丸(せいしまる)さま

山門をくぐると

右手に賢そうな

子供の像が見えてきます。

「勢至丸」さま。

案内を抜粋・要約・加筆すると

以下になります。

「法然上人は、

武士の子として平安時代末期の

長承2年(1133)美作国(岡山県)

久米南条稲岡で生まれました。

勢至丸は、法然上人の幼名で、

阿弥陀如来の右脇侍の

勢至菩薩にあやかって

名付けられたものです」

誕生地の岡山県久米南条稲岡を

調べると、

法然上人の弟子である熊谷直実が

法然上人の旧宅を

寺院に改め創建したとされる

「誕生寺」が鎮座しています。

なんか興味湧いてきますね!

岡山なら行けそうかも?(笑)

参道

ここからさらに上ります。

石段を少しあがり

振り返って山門を撮影。

鐘楼。

御影堂が見えてきました。

手水舎

次に手水舎へ。

手水鉢の上に

何か黄色いものが・・・

お〜これは!

めっちゃ癒されますね〜!

金戒光明寺が運営する

「くろたに幼稚園」の子供達を思い、

こんな装飾になっているのでしょう。

お堅い寺院に

ゆる〜いアヒルさん(笑)

滋賀県の苗村神社でも

同じような体験をしましたが、

金戒光明寺さんの子供達や

参拝者への優しさが、

ダイレクトに伝わってきて、

参拝前から超感動ですよ!

御影堂

會津墓地御廟などを

優先してお参りしたため、

御影堂の参拝時には、

扉は閉まっていました。

中にいらっしゃる

本尊の阿弥陀如来様や、

文殊菩薩を思いながら参拝。

その他お堂など

ここからは

そのほかのお堂などを散策。

御影堂向かって右側へ。

熊谷直実鎧掛けの松。

案内によると、

この松は三代目だそうです。

大方丈。

左奥が「玄関」で、

国指定重要文化財となっています。

慶長十年(1605)

豊臣秀頼公が再建した阿弥陀堂。

関ケ原の戦い後、

畿内を中心に各所で、

豊臣秀頼が再建した寺社を

多数目にします。

豊臣家の金蔵を減らす目的で、

徳川家康に指図されたとしても、

また、

幼かった秀頼ではなく、

母である淀君の采配であったとしても、

「死して名を残した」秀頼さんは、

この世に生を受けた意味は

大いにあったということでしょう。

納骨堂(旧経蔵)

案内を抜粋、要約すると

以下になります。

「このお堂は、元は経蔵として

元禄二年(1689)

称悦法師が寄進建立した。

現在は、

当山に納骨されたお骨で造立した

阿弥陀如来「骨佛」を本尊とし、

当山有縁の納骨者の霊を供養する

「納骨堂」となった。」

ここまでで、

金戒光明寺の散策は完了し、

残すイベントは一つのみ・・・

これで本当に(笑)参拝完了。

金戒光明寺は、

心に響く優しいお寺さんでした。

 

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