高野山・奥之院(9)

 

女人禁制でも・・・

明治時代後半までは、

女人禁制だった高野山。

ところが、

奥之院には大名の正室など

女性のお墓や供養塔は、

数え切れないほど存在しています。

だから、

女人禁制は、浮世だけの話、

生身の人間でなければ、

男も女も関係無しだったんですね(笑)

山口 毛利家墓所

ここは、メンテナンスもされて、

なかなかカッコいい墓所です。

背後の杉林も

お墓と一体化していますね。

鳥居の先は

こんな立派な参道があります。

正面のお墓が偉い人なんでしょうが、

誰のかは覚えていません(汗)

斜め後ろから見ても

非の打ち所がないくらいに

整然としています。

奥之院のお墓の中でも、

イケメンの部類間違いなし!かも(笑)

森中将忠政墓所

Wikipediaによれば、

森忠政は津山藩主として、

また、その前の領地であった、

信州、川中島でも

かなり農民を虐めています。

藩主は幕府からの

様々な要求にお金が必要だし

仕方ない部分もあったのかな?

参拝。

岡山 津山 森家墓所

森忠政の隣に

津山 森家墓所があり、

おそらく忠政以降の

藩主のお墓なのでしょう。

参拝。

岡山 池田家墓所

ここは31万石の大名にしては、

めっちゃ質素な墓所ですから

岡山池田家墓所のメインは

他にあるのかも・・・。

何となく現代風?なお墓に参拝。

薩摩 島津家墓所

奥之院にある

島津家久・光久・綱久の墓所には

すでに参拝しましたが、

ここでも島津さんの墓を発見しました。

大大名なのでいくつもあるのでしょう。

石垣・灯籠も配置され、

やはり島津さんらしく立派な構えです。

参拝。

加賀 前田家墓所

江戸時代、100万石という

全国の大名で、一番の石高だったのが

加賀藩の前田家。

「加賀百万石」という言葉自体が、

有名ですね。

織田信長の家臣、前田利家からはじまり、

江戸時代を通じ、転封も無し。

だから金沢の素晴らしい文化は

連続性を保てたのかも知れません。

(まだ金沢に行ったことはありませんが)

右手前には、

「寛文元年(1661)」と

刻まれた石碑がありますので、

その頃に建てられたものでしょうか・・・

真ん中は「陽廣院」と

刻まれていますので、

三代藩主、前田光高の

墓かと思われます。

(全部確認していたら

夜になるので気が向いたものだけ

確認しました)

奥州 仙台 伊達家墓所

次も大御所大名、

伊達家の墓所です。

エントランス。

鳥居が三つありますが、

真ん中と左は仙台の伊達家(本家)

右側奥は宇和島の伊達家となります。

まずは、仙台藩四代藩主、

伊達綱宗公の墓へ。

参拝。

次は向かって左側の鳥居をくぐり

三代藩主、伊達忠宗公の墓へ。

参拝。

伊予 宇和島 伊達家墓所

次に分家の宇和島伊達家の墓へ。

分家なので奥まっているのかな?

宇和島藩は、大坂の陣後、

伊達政宗の庶長子、秀宗が

10万石で立藩。

幕末は八代藩主、宗城(むねなり)が

明治維新に向け活躍しています。

参拝。

筑後 柳河 立花家墓所

僕の地元、立花山城主だった

立花宗茂を藩祖とする

柳河藩の墓所は

伊達さんちの隣にあります。

苔のむし具合が、

なんとも言えずいい雰囲気です。

五輪塔に刻まれた文を読むと、

「柳川城主」

「(二代藩主)立花忠茂」

このような文字があります。

江戸時代初期からでも「柳川」の文字が

使われていたようです。

柳河=江戸時代

柳川=明治以降

この認識は違っていたのか・・・

何かと新発見が多い奥之院ですね。

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください