河口湖自動車博物館・飛行館/彩雲
改めて誓った(笑)
飛行館にカップルで行く場合、
どちらか一方が興味ない人だと
独りぼっちで端っこの椅子に座り、
長時間スマホを弄りながら
ただひたすら待つ事になります。
それほどまでにここは、
「マニアな空間」なのです。
そんな人たちの姿を見ながら、
「戦闘機大好き妻」がいる自分が、
いかに恵まれているかを
実感すると共に、
「自分だけ興味がある事は、
必ず自分一人だけで楽しむ」
そう改めて誓った次第です(笑)
彩雲(さいうん)
飛行館への訪問前、
僕も妻もYouTubeで、
事前知識をインプットしていました。
その中のメインが、
海軍の偵察機、「彩雲」の復元です。

何年もかけコツコツと復元され、
今年はその「最新モデル」が、
展示されています。
ただ見るだけじゃなく、
その復元に情熱を傾ける
職人「I氏」の魂を感じるのが、
大きな醍醐味でもあります。

人だらけの館内(笑)

彩雲の頭上には、
1903年、
アメリカのライト兄弟が人類史上初めて
エンジンを動力とした飛行を成功させた
ライトフライヤー(レプリカ)が配置され、
ライト兄弟の探究心に負けず劣らずの、
「I氏」が復元中の彩雲を見守っています。

彩雲、左前から誉エンジンのアップ。

右前から。

正面。
ここからは案内を二つ、
書き出します。

「艦上偵察機 彩雲 11型1290号機
Nakajima C6N1 MYRT」
「この彩雲は、最高速度654Km/h、
最大航続距離5,000Kmを誇る、
日本海軍の高速偵察機である。
設計は、中島飛行機 小泉製作所の
山本良造、福田安雄、
2名の技師によるものだ。
太平洋戦争の開戦により、
日本海軍は急遽、
優れた偵察機が必要になり、
昭和17年1月、
中島飛行機に開発指示が下った。
要求された、最高速度630Km/hを
実現させるためには、
2,000馬力級のエンジンが
必要であったが、
当時そのような高出力エンジンは
存在しなかった。
山本、福田 両技師は、
1,000馬力級の星形エンジン2基を
串刺しにして、
同軸でプロペラを駆動させることで
要求を満足させようと考えていたが、
幸いにも開発中であった、
1,800馬力エンジンの
実用化に目処がついたため、
このエンジン”誉”を搭載することで
開発が進められた。
エンジン出力の不足分は
機体の設計技術により
補うことで対応した。
彩雲には様々な新技術が採用された。
それらの技術は
現在の航空機にも使われている。
今なお、傑作機として
名を残している由縁であろう。
昭和18年4月26日に
小泉製作所で量産試作機が完成。
翌年の昭和19年4月には
愛知県の半田製作所にて、
本格的な量産が開始され、
終戦までに463機もの彩雲が
生産されている。
現在は、
河口湖飛行館とアメリカの博物館の
”2機のみ”が現存するが、
アメリカにある機体は未公開で、
未だ復元が開始されていないため、
ここに展示されている彩雲が、
世界で初公開となる。」
僕たちはこの6月、
ここに記された半田製作所の
滑走路跡に行き、
そこを歩いてみました。

ここを完成した彩雲が、
海岸方向に向かって、
飛び立って行ったのです・・・
その中には、
飛行館の彩雲もいたでしょう・・

「展示されている機体は
ミクロネシアのジャングルに
隠されていたもので、
2000年頃に発見された。
その後、飛行館に運ばれ、
修復作業が行われた。」

テンション爆上げの妻と彩雲。

真横から。

今回の目玉は、
この中が見られる事。

詳しいことは分かりませんが、
精巧に復元されています。

「2降115
中島214104
三鷹31248」
中島飛行機の三鷹研究所と
何か関係があるのでしょうか?

風防正面。

機内。

骨組みがよく分かります。
何年か後には、
座席などの内装も
復元されるのでしょう・・・

後部の7.7mm機銃穴。

尾翼。

引き込み式の後部車輪。

主脚、操縦席、
フラップ作動シリンダー、
翼タンクなど。

「彩雲 操縦席」
以下、案内です。
「復元機に装着されていた
オリジナル操縦席で、
裏側には当時の塗装も残っている。
体がすっぽり収まるバケット形状で、
素材は超ジュラルミン製である。
左右にある金具には
肘掛けが取り付けられ、
長時間飛行でもパイロットが
疲れないように配慮されていた。
背面にある2本のパイプは座席の昇降用。」
航続距離、5000Kmで、
巡航速度400Kmだと12時間以上、
例え、肘掛があっても、
そんなに長い間、
敵機の出現を警戒しながら飛ぶなんて、
人間業ではありませんね・・・
しかし、
当時のパイロットたちは、
無理に無理を重ねて、
任務を全うされ、
そして散華されていったのでしょう・・

主脚・翼タンクの解説。
そして、最後に見たのが、
こちらのパネルです。

「艦上偵察機「彩雲」夜戦型」
以下、解説です。
「”我に追いつくグラマンなし”の電文で
有名な快速偵察機「彩雲」の夜戦型の
貴重なスナップ。
大戦末期、関東地区防空に活躍した
第302航空隊第3飛行隊の所属で、
場所は厚木基地である。
302空は雷電、零戦、彗星、
月光、銀河を主戦力としていたが、
彩雲の高性能に目をつけ、
19年11月から斜め銃を装備した
夜間戦闘機として少数使用し始めた。
武装は20mm砲2門が標準であったが、
写真のヨD -295号は小園司令の命令で
エリコン式2式30mm砲1門を装備した。
操縦席直後のキャノピーに
突出しているのが30mm砲である。
この30mm砲の威力は絶大であったが、
射撃時の衝撃はすさまじく
胴体外板にシワがよったという。
この機体を使用したのは
安田博(操縦)、福田太郎(偵察)
両中尉で、
20年8月1日夜、
東京に来襲した
B -29・160機を迎撃し
その内の1機に10発近く発砲したが
惜しくも戦果は不明であった。
これがヨD -295号の唯一の実戦参加で、
まもなく終戦を迎え、
児玉基地で武装解除されている。
写真の左後方には彗星33型、
右後方には20mm砲装備の
彩雲夜戦もみえる。」
偵察任務が不要になる程、
追い詰められた状況がよく分かります。
30mm砲の射撃時の衝撃については、
初めて知りましたが、
だとすると、大戦末期、
戦車並みの57mm砲を装備していた
陸軍の飛行機は、
実際に撃てたのでしょうか・・・ね?
また、
斜銃の開発者でもある
小園安名大佐率いる
302空は雷電の赤松中尉など多くの
エースパイロットを輩出しましたが、
その中の一人が、この6月、
愛知県田原市の慰霊碑にお参りした
夜間戦闘機「月光」のパイロット、
遠藤幸男大尉(戦死後・中佐)です。
空母搭載用の高速偵察機として生まれるも
その頃、日本の空母は全滅に近く、
陸基地からの運用となり、
最後は、
夜間戦闘機として使用された彩雲、
運命に翻弄されるも
との時々での活躍が偲ばれます・・
彩雲、
実機を見られてホントに良かった・・
彩雲の復元を手がける
「I氏」の力作には心から感動し、
ますます彩雲の完成形を
見たくなりました!
(続く)