苗村神社・西本宮(滋賀県竜王町)後編

 

織田信長公のお導き?

僕たちは苗村なむら神社に参拝する2年前、

神社の「模型」と出会っていました。

織田信長の城で有名な、

安土城近くに建つ、

滋賀県立安土城考古博物館

吹き抜けの下に配置され、

本殿内部の様子がわかるよう、

左右に分かれる造りになっています。

こちらは真横から撮ったもの。

案内には、

西本殿は鎌倉時代、

徳治三年(1308)の建立で、

国宝に指定されている事が

説明されていました。

この時、

是非、苗村神社に参拝し、

本殿も拝ませていただきたい気持ちが、

湧き上がったものの、

この日は参拝する時間がなく断念・・

しかし、

ようやく心願成就の日は

やって来たのです!

これって、

織田信長公のお導きかも

知れませんね(笑)

御由緒・沿革

室町時代建立の楼門と

歓迎されている感満載の

手水鉢に癒やされた後、

改めて御由緒などを確認。

「苗村神社」案内碑。

家紋好きな僕たちには、

ますはテッペンの洲浜紋が

目に飛び込んできます。

内容を抜粋、要約すると

以下になります。

「御祭神

那牟羅彦神なむらひこのかみ 那牟羅姫神なむらひめのかみ

國狭槌尊くにのさつちのみこと

御由緒

平安時代の延喜式神名帳に

長寸なむら神社と記する格式高い神社である。

社殿によれば、東本宮の創祀は、

垂仁天皇の御代で、

その後、冷泉天皇の安和二年(969)

大和国吉野の金峯きんぷ山より

主神の一柱(國狭槌尊)

勧請し祀ったのが西本宮である。

長寸神社に苗の字を用いたのは、

寛仁元年(1017)

後一條天皇より

苗村神社の称を賜り現在にいたる。

天文五年(1536)後奈良天皇は

当社に正一位の神位を奉授され、

皇室及び公卿との関係も親密で、

深く崇敬された。

天正年間に、織田信長が

馬鞍一具と太刀七振りを献上する。」

やはり信長さんも

一枚噛んでいますね(笑)

御神馬にも洲浜紋。

拝殿・本殿

いよいよ、

国宝・重要文化財まみれの(笑)

御社殿群へ。

建物左から、拝殿、幣殿、

西本殿、十禅師社。

正面から。

拝殿。

拝殿内は、

折上格天井と

格式高く仕上げられています。

拝殿左側のクスノキと杉。

どちらも主幹はなく、

クスノキには新たな新芽が、

杉は屋根を付けられて

いまなお大切にされています。

 

奥側、左側が八幡社、

真ん中が西本殿。

幣殿前の神門。

ここから参拝。

幕には洲浜紋が印されています。

その後、

ふっと上をみると、

こんなものを発見!

屋根の右側にいらっしゃる厄除猿。

左側には子守猿。

さりげなく参拝者を

見守ってくれてますね!

軒下の灯籠にも洲浜紋。

西本殿に参拝。

鎌倉時代から今日まで、

幾多の戦火にも巻き込まれず、

地震にも耐え、火事にも遭わず、

700年の時を超えて建つ西本殿。

鎌倉時代の人たちも見たであろう

同じ姿を、

令和の時代に生きる僕たちも

拝むことが出来るとは、

まさに奇跡!

有難き幸せです・・・

護國社

次に境内社である護國社へ。

社頭。

御英霊達に参拝。

神輿庫

次に、

国指定重要文化財の神輿庫へ。

切妻屋根のシンプルなデザインで

何とも渋いですね!

案内を抜粋・要約すると

「建立は社蔵文書によると

天文五年(1536)に

正一位の神位を受けたとき、

勅使の装束召替仮殿しょうぞくめしかえかりでんとして建て、

のちに神輿庫に用いたとある。

装束召替仮殿としての用途は

限られた期間であり、

当初から神輿庫や御供所などの

倉庫的な再利用を企図して

建てられたものと考えられる。

全国的に類例の少ない

遺構としても貴重である。」

このようになります。

そして、

参拝の最後は・・・

幣殿前にてツーショット。

苗村神社・西本宮の参拝は、

これにて完了です。

 

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