七社宮(福岡県宗像市)拝殿

 

赤馬→赤間

七社宮ななやしろぐうの案内の中に、

「赤間」という地名の由来が、

次のように記されていました。

「神武天皇が、当地をお通りになった時、

道に迷われました。

その時、

赤い馬に乗った威容のある老人が現れ、

天皇をご案内しました。

そして、姿が急に消えました。

里人はこれは神がお導きになったと信じ、

この地を神地としてあがめました。」

赤馬→赤間となった経緯は不明ですが、

地名の漢字変更はよくある話です。

時の権力者が勝手に漢字を変えたのか、

大分県の杵築(きつき)のように、

本来は「木付」だったものが、

幕府の朱印状に間違って

「杵築」と書かれてしまった為、

幕府に憚って本来の「木付」から

「杵築」に改名したように、

何かの間違いから来たものなのか、

妄想を掻き立ててくれます(笑)

参道

七社宮は赤間宿の鬼門、

東北に鎮座しています。

この絵地図だと右上、

教育大学の下あたりです。

社頭へ。

燈籠の上に鎮座する狛犬、

たま〜に見かけます。

まずは案内を確認。

「神代の神々をまつる

石丸・赤間の鎮守の杜

七社宮(七社神社ともいう)」

[いわれ]

この地は、古墳でした。

また、弥生時代の食糧貯蔵倉もあり、

昔の人々にとっては聖なる地でした。

飛鳥時代である、七世紀の西暦674年

(天武天皇白鳳二年)に、

里人が四社殿を造営して

七柱の神をおまつりしたのが、

この七社宮です。

[おまつりしている神様]

国常立尊 国狭槌尊

惶根尊 忍穂耳尊

大己貴尊 瓊々杵尊

伊弉諾尊」

ここで妻が一言、

「藤棚が阿吽になってる!」

右側が阿形に相当する藤棚。

柱が石というのは、

ちょっと珍しいかも?

左側には吽形の藤棚です。

左右ともに緑が生い茂っていますので、

春には素晴らしい藤の花が

出迎えてくれるのでしょう。

大正天皇の即位記念の鳥居をくぐり石段へ。

一直線の向こうには、

拝殿が見えています。

手水鉢にてお清め完了。

一直線の石段をさらに上へ。

標柱の文字から安政五年に

再造された石段のようですが、

傷みも少なく、

今も現役でいることは

当時の技術の確かさを

物語っていますね!

もうすぐ拝殿です。

石段を登り切った所の手水鉢。

こちらには古い石臼を使った、

物置台が付いています。

二の鳥居は

現在の上皇様の生誕記念で

建立されています。

拝殿

鳥居をくぐるとすぐ拝殿があります。

志賀島で金印が発見さた

記念すべき年、

天明四年(1784)寄進の燈籠。

参拝と古そうな狛犬。

阿形。

天保十三年と刻まれていますので、

西暦で言えば、1842年、

御年、184歳ですが、

燈籠に比べれば若造です(笑)

吽形。

参拝。

拝殿内は、

広くて開放的なスペースだな。

そう思って側面に回ると、

その意味が理解できました。

側面の扁額を見ると・・・

「神楽殿」の文字。

なるほど!

ここは神楽を上演する

場所でもあったのですね。

神楽殿(拝殿)前の境内。

石祠に参拝。

神楽殿横の石碑。

文字は漢文で、

しかも風化していますが、

「赤馬」の文字があるので、

赤間の由来でも

記されているのでしょう(適当・・笑)

(本殿編に続く)

 

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