南州墓地(鹿児島市)
同郷同士の戦い
明治10年に起きた西南戦争(西南の役)。
鹿児島県全体が明治政府の敵ではなく、
対峙したのは、
あくまでも私学校軍(西郷軍・薩摩軍)で、
明治政府軍(官軍)の中には、
薩摩(鹿児島)出身の人も多くいました。
同郷の知り合い同士、
血を分つ親子、兄弟が、
敵味方に分かれて戦ったのです。
そして現代の戦争、
例えば、朝鮮戦争、ベトナム戦争、
直近で言えばウクライナ戦争でも
同じ悲劇が繰り返されています。
戦争というもの、
物理的に人が命を落としたり
傷ついたりするだけでなく、
親兄弟親戚、友人との人間関係や
精神的繋がりをも
崩壊させ一生心の傷として、
「精神」を蝕むのです・・・
ただ、このような歴史を知り、
真剣に未来を考えて行動すれば、
悲惨な出来事を回避できる可能性は
高まるでしょう。
希望に満ちた未来は、
歴史を知る所から始まるのですから。
庄内藩士の墓
南州墓地では、
先にボランティアガイドの方に
一通り案内していただいた後、
改めて二人で巡ったので、
事前知識も入れる事ができ、
かなり充実した参拝となり、
改めてボランティアガイドの男性に
心から感謝しています。

神道式墓域の前に建つ、
明治二十五年奉納の鳥居。
南州墓地での主目的は、
勿論、西郷隆盛のお墓参りです。
ところが、
その主役を一瞬忘れさせるものが
この鳥居の先にあります。

正面、石段の上に見えるのが
西郷隆盛の墓ですが、
ここで注目したのは、
石段の手前左側、
案内板がある木です。

「庄内柿」
「この庄内柿は、庄内の偉人、
菅臥牛翁と西郷南州翁との
徳の交わりを機縁として、
山形県鶴岡市と鹿児島市が
兄弟都市盟約を締結した、
昭和四十四年十一月七日に、
鶴岡市から寄贈されました。」
「庄内柿は庄内地方の特産品で、
糖度が高くてみずみずしく、
庄内の秋を代表する
果物の一つとして知られています。」
ここで記されている「徳の交わり」、
僕たちは2年ほど前、
この銅像を見るために
山形県酒田市の
南州神社へ参拝しています。

こちらが酒田市の「徳の交わり銅像」で、
手前に阿吽の如く咲いているのは、
西郷さんゆかりの(流罪先)
沖永良部島から贈られた
「えらぶゆり」です。

植樹されてから60年近い庄内柿、
枝振も立派になり、
庄内藩士の魂をも感じますね!
ちなみにボランティアの男性は、
柿の木の下の椅子に座って
僕たちの到着を待たれていました(笑)

庄内藩士、お墓の案内。
二名の庄内藩士は他藩士ながら
私学校入校を認められ、
薩摩軍として西南の役に従軍し、
戦死されています。

「羽前國 庄内人」の文字で、
遠く山形から来て、
九州で一生を終えた藩士の
望郷の念に思いを馳せる事が出来ます・・
合掌・・・
歴史を紡いでくださり、
本当にありがとうございます。
西郷隆盛の墓など
次に主役のお墓へ。

「西郷隆盛」の墓。
墓碑手前の焼香台には、
以下が刻まれています。
「岩崎谷のおくつきは
煙の香にて絶間なく
上野の山の銅像は
百千の人に仰がるる」
ここで記された「おくつき」とは
神道式のお墓の事で、
「鹿児島でも東京でも
西郷さんの遺徳を慕う人が、
大勢やってくる」
そんな意味でしょうか。

参拝。

西郷さんのお墓に向かって右隣、
「篠原国幹」の墓。

「明治政府で陸軍少将となるも
西郷と共に下野(辞職)し、帰鹿。
西南の役では薩軍一番大隊長として
陣頭指揮し、明治10年3月4日
吉次峠にて42歳で戦死。」

「村田新八」の墓。

「岩倉具視一行に加わり
欧米を視察後、明治7年辞職し、帰鹿。
西南の役では薩軍2番大隊長。
城山最後の日、
西郷の死を見届けて自刃。享年42歳」

「桐野利秋」の墓。

墓石には何故か「桐埜利秌」と
刻まれています。
この方も西郷と同じ日に戦死した人で、
ボランティアガイドさんのお話では、
「桐野さんはイケメンでお洒落。
なので、
墓石も他の人の墓とは違い、
高級な石を使っています。
香水も付けていたそうで、
お墓に参る人も
香水を持って来るんですよ。」
このよな内容で、
それを裏付けるのがこちらです。

男性のお墓に香水、
めっちゃレアですね!

「西郷小兵衛」の墓。

「明治10年2月27日
肥後高瀬(現玉名市)で戦死。31歳。
西郷隆盛の末弟。
5歳で両親と死別し、
兄を慕い成長した。
西南の役では
1番大隊1番小隊長として出陣した。」
西郷の別の弟「従道(つぐみち)」は
官軍側として戦っていますので、
ここでも敵味方に分かれていたのです・・

こちらは西南の役の後に
処刑された鹿児島県令
「大山綱良(格之助)」のお墓です。

「明治10年9月30日
長崎で処刑 53歳。
明治7年鹿児島県初代県令(知事)となる。
西南の役に際し、軍資金、
兵器、弾薬、食糧を送るなど
薩軍を援助した罪により神戸で捕縛、
官位をはく奪された。」
時代が違えば、
この人も県令(県知事)として
一花咲かせたかも知れません・・
福岡隊士の墓
僕たちが福岡から来た事知った
ボランティアガイドさんは、
「福岡藩士のお墓もありますよ!」
そう言って、案内してくれました。

南州墓地の墓碑は、
みんな桜島(南東)を向いていますが、
福岡藩士のお墓だけは、
福岡の方向を向いているそうなのです。

エントランス。

薩軍と合流できなかった人が
大半のようですが、
福岡藩の戦死者は、
104名もいたのですね・・

参拝。
確かに他のお墓とは、
反対側を向いています。
石碑等
南州墓地の下段部分には、
石碑等が集約されています。

「常夜燈」
以下、案内の抜粋です。
「この常夜燈は、
西郷隆盛と勝海舟との会談により、
江戸城が無血開城され、
江戸100万市民が兵火を
免れたことへの感謝のため、
昭和14年5月当時の東京市によって
寄贈建立されたものです。」

「勝海舟歌碑」
「ぬれぎぬを 干そうともせず
子供らが なすがままに
果てし君かな」
勝海舟の西郷を惜しむ
万感の思い、
ここに極まれりといった歌ですね・・・
「征韓論者と言われた濡れ衣、
私学校生徒という子供ら、
その子供らの意思を受けて、
戦争に身を委ね、
生涯を終えた西郷さん・・・
あなたの事が本当に残念です・・・」
そんな気持ちが
込められているのでしょう。

1909年(明治四十二年)
南州墓地を参拝した中国辛亥革命の
代表的志士、黄興先生の碑。
桜島見ながらのアイス
この日は天気が良く、
まさに「アイス日和」(笑)

南州神社参道にある
「境内茶屋 なんしゅう」で
アイスを購入し、ベンチで食べる事に。

お〜これは素晴らしい景観!

妻が見つけた電話ボックスは
切妻屋根で薩摩の家紋入り。
これ見ただけで
テンション上がりますね!

ベンチからの風景。
南州墓地にお住まいの方々も
同じ景色を見ているはずです(笑)

妻&桜島。

桜島を見ながらアイスを頬張る妻。

僕は桜島バックにアイスを堪能。
南州墓地の〆、
結局アイスになりました(笑)