西郷隆盛終焉の地(鹿児島市)
覚悟の自決
江戸から明治へと時代が移る中、
国内では幾多の戦いがあり、
坂本龍馬など名だたる人も、
そして名もなき人も
暗殺されたり、傷ついたりして、
歴史転換の「礎」となって来ました。
悠久の歴史を見ても、
時代が大きく変わる時、
全て平和裏に事を運べるほど、
人間は賢くはありません・・・
西南戦争の前、
西郷隆盛はこの戦で、
自身の命が尽きる事を
最初からわかっていた気がします。
そして、
自分の命と引き換えに、
明治政府の方針に憤まんやる方ない
士族たちの鬱屈とした思いを
鎮め(諦め)させ、
新時代に沿った生き方で、
新たな活躍の場を見つけるよう、
諭したのかも知れません。
ランチ&桜島
南さつま市の
車で鹿児島市内を目指します。

途中買った車内ランチ用のパン。
これ、実に美味しかったのですが、
ここからは、
その美味しさを倍増してくれる
景色が見られるのです。

桜島!!
桜島を眺めながらランチとは、
福岡に住む人間からすると、
贅沢すぎますよ!(笑)
西郷隆盛終焉の地
終焉の地に駐車場はなく、
Googleマップで、
300mほどの所に、
コインパーキングを発見。

妻のラッキーナンバー13に駐車(笑)

案内が見えて来ました。

終焉の地は、
鹿児島本線の終着駅、
鹿児島駅近くの踏切の目の前です。

正面。

近辺案内には薩摩義士碑、
西郷洞窟など、
僕たちが以前訪問した
地名が並んでいて、
ちょっとテンション上がります。

石段で上へ。

先ほどの案内が、
地図に落とし込んであります。

こちらが終焉の地の説明で、
以下、案内全文を書き出します。
「ー波乱の道、ここに尽きるー」
「ズドン、ズドン!2発の銃弾が
西郷隆盛の腰を大腿部を撃ち抜きました。
城山洞窟を出てわずか300m、
650歩でついに途は閉ざされたのです。
「晋どん、もうここらでよか。」
東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、
別府晋介の介錯の太刀が
振り下ろされました。
1877年(明治10)
9月24日のことです。
西郷を敬愛する私学校生徒を中心に
強大な反政府勢力となった薩摩が
2月15日に50年ぶりの
豪雪をついて熊本に軍を進めて以来、
7ケ月もつづいた
「西南の役」が終わったのです。
熊本城の攻防、田原坂の激戦に破れ、
人吉から宮崎、延岡に追われた薩軍は
ついに解散。
西郷以下の幹部は宮崎県北の可愛岳を突破し
九州の中央山脈を縦断する難行軍の末、
故郷鹿児島を死に場所に選んだのです。
岩崎谷の銃声がやみ、
西郷の死体が発見された時、
政府軍の総司令 山縣有朋中将は
「翁はまことの天下の豪傑だった。
残念なのは、翁をここまで追い込んだ
時の流れだ。」と語り、
いつまでも黙祷したという事です。」
最後の山縣有朋さんの言葉は、
誰にでも当てはまるものでしょう・・
人は常に「時の流れ」に翻弄され
またそれにより癒されたりします。
なんか、
鴨長明の方丈記の有名な
フレーズを思い出しました・・・
「行く川の流れは絶えずして、
しかも本の水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて
久しくとどまることなし。
世の中にある人とすみかと
またかくの如し。」
大西郷でさえ、「世の無常」から見ると、
「よどみに浮かぶうたかた」の
一つだったのかと・・・

明治32年9月建立の終焉の地碑。
西南戦争から22年後の事。
早かったのか遅かったのか・・

慰霊碑ではないけれど
やはり参拝という形でOKでしょう。

裏面には、
西郷隆盛の最後の様子が
詳しく書かれています。

日本の歴史に大きな足跡を残した
西郷さんに感謝しつつツーショットで
訪問は完了です。