万世特攻平和祈念館・零式水上偵察機
特攻隊に先駆けて
万世特攻平和祈念館は、
ここが「陸軍」の特攻基地であった証と、
散華された特攻隊員の慰霊の場として、
創建されていますが、
館内1階のメイン展示は、
「陸軍」ではなく、
海から引き揚げられた
「海軍」の零式水上偵察機です。
僕たちは、昨年(令和7年)8月、
この飛行機の所属した
福岡県糸島の海軍航空隊玄界基地跡を
初訪問していて、
その後、
鹿児島の万世特攻平和祈念館において、
玄界基地所属の「実機」が、
展示されている事を知り、
大いに楽しみにしていました。
なので、
特攻隊の展示観覧に先駆け、
零式水上偵察機の見学から
スタートした次第です。
入館
2つの慰霊碑に参拝後、館内へ。

祈念館正面。

入館。

チケット。
零式水上偵察機
館内入ってすぐに
目的の機体はあります。

海底に眠っていた当時のままの姿で
展示されているそうで、
海の青さを照明で表現しているのも
リアリティがあって、
素晴らしいと思います。

零式水上偵察機の模型。
向かって左側の翼前面の、
日本軍としてはレアな装備、
八木アンテナ(レーダー探知機)が、
ちょっと誇らしく見えます。
また、
引揚げられた機体は、
水上機の特徴である
「フロート」部分は、
発見できなかったので、
展示はされていません。

案内パネル。
ここでの注目はこちらです。

金刀比羅宮の木札。
後ほどの案内で知ったのですが、
この飛行機の搭乗員3人は、
海を泳いで脱出し、生還できたそうで、
これは海の神様である、
金刀比羅宮のご利益?
だったのかも知れませんね!
また、
機内に木札があったと言うことは、
海軍の軍艦に「艦内神社」が
鎮座していたのと同じく、
飛行機にも神社(お札)が
標準装備だったことが推定されます。

「引き上げられた旧日本海軍機」
「飛行場西側には、広大な吹上浜が広がり、
加世田市では、
1984年(昭和59年)に
戦争中の飛行機が
海没していることを確認していた。
1992年(平成4年)8月、
漁業協同組合の協力を得て
市から委託を受けた株式会社森組により、
万之瀬川を挟んで海没していた
旧日本海軍機2機が引き揚げられた。
海底での飛行機は、
機体のほとんどが
砂に埋もれた状態であったため、
戦後47年を経過しているにもかかわらず、
良好な保存状態であった。」
このように記されています。
機体が引揚げられた近くには、
日本神話での、
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が
一目惚れして、その後妻になった、
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)
との出会いの場とされる、
「笠沙」(かささ)があるのも
機体発見への
神々の後押しを感じると共に、
運よく砂に埋もれて、
良好な状態だったとことも
何らかの意志を感じます・・
「俺を引揚げて、
そして人々に戦争の惨さ、
平和の尊さを伝えてくれ。
神代(かみよ)から続く日本の繁栄を
願っているぞ!」
そんな飛行機の意志を・・・

「引揚機零式水上偵察機(E13A1a)」
「すぐれた航続力と搭載力をもつ本機は、
太平洋戦争中の全期を通じて、
海軍作戦地域の殆ど全域にわたって活躍し、
偵察のほか、哨戒、攻撃、連絡輸送から
救難まで幅広く使われた。
ここに展示している飛行機は、
当時極秘であった
八木アンテナ(電探)を付けた
日本に唯一現存した珍しい機体
「水偵302」の表示があることから、
福岡を離水、沖縄方面の探敵から
帰途中燃料切れで不時着したものである。
この飛行機は
海軍のフロート付水上偵察機であって、
ここ万世陸軍飛行場から
出撃した特攻機ではありません。
なお、引揚げ後の機体整備にあたっては、
海上自衛隊鹿屋航空工作所の
御支援をいただきました。」
ここに記された「八木アンテナ」、
発明された当初、
日本軍は馬鹿にして研究しなかったのに、
米軍は大注目し、その後の
米軍主力レーダーの元になったとは、
何度考えても残念です・・・

重要航空遺産のプレート。
以前僕たちが行った、
愛媛県愛南町の「紫電改」も
昨年(令和7)年7月25日に、
重要航空遺産に認定されています。
7月25日は偶然にも
僕たちの息子の誕生日、
何か紫電改とのご縁を感じますね(笑)

機体を一周できるよう、
道が整えられているのも
嬉しいですね!

後方上部から。

操縦席近影。

右翼から。

機体から発見されたものを展示。

前世が特攻隊(推定)の妻は、
モールス信号(電鍵)に注目です。

大型パネルと案内。
「後方に展示されている飛行機は、
1992年に吹上浜沖約600m、
水深5mの海底に沈んでいたものが、
加世田市(現南さつま市)により
引き揚げられた
海軍零式三座水上偵察機です。
この偵察機は1945年6月4日に
福岡県博多湾に面する
糸島半島にあった海軍基地を離水。
その後に指宿航空・水上基地に着水。
その後沖縄へ偵察出撃しましたが、
途中敵機と遭遇し
必死の思い出帰投することに。
しかし途中で燃料が無くなり、
やむなく吹上浜沖に不時着しました。
搭乗員3名
(曲尾少尉・中野上飛曹・小川上飛曹)は
漆黒の海を泳ぎ切り、
吹上浜に無事上陸しました。
同機はプロペラと操縦席の一部を
海底から露出する以外は
完全に砂に埋まった状態であったために、
長期間海没していた割には
比較的に腐食や破損が少ない状態でした。
2011年12月、
日本航空協会が歴史的、
文化的に価値の高い航空機遺産を
後世に残すために
2007年に設けた
「重要航空遺産」に認定されています。」
その他の展示
ここには零式水上偵察機以外の
部品やパネルの展示があります。

こちらは同じ時期に引揚げられた、
もう一つの機体についての案内です。
「引揚機零式艦上戦闘機52型丙
(A6M5C)」
「抜群の運動性と航続力をもつ
”零戦”は、戦争前期には無敵を誇り、
総数約10,430機生産された
日本海軍の主力であり
最多の戦闘機であった。
今回引き揚げられた52型丙は、
グラマンF6F ”ヘルキャット”との
空戦による戦訓から、
翼端を切り沈下を早くし、
機関砲の火力を多くしたものに
改良されたもので、
昭和19年末から実践配備された。
加世田市は、
引き揚げた本機を縁の深い
海上自衛隊鹿屋基地に寄贈した。」

昭和58年、
茨城県鹿島灘沖で見つかった
陸軍98式直接協同偵察機の
エンジン・プロペラと機関銃。

上から
零式艦上戦闘機(零戦)の
20mm機関砲、13mm機銃、
零式水上偵察機の7.7mm旋回銃。
いずれも
吹上浜から引き揚げられています。
(続く)