桜花の碑・野里国民学校跡(鹿屋市)
勇気と希望
僕たちが桜花の碑に着いた時、
屈強そうな若い男性が走ってきて、
桜花の碑に参拝されていました。
男性のTシャツの背中には
「JASDF(航空自衛隊)」の文字が・・
きっと鹿屋基地の隊員の方でしょう。
若い人がこのように特攻隊の
慰霊をされる姿を見て、
本当に嬉しく、また感動し、
彼のお陰で、
将来それ程長くない僕たちも(笑)
大きな勇気と希望を与えて貰いました。
悲惨な歴史を知り、
当時の人間心理を理解し、
永遠の平和に繋げる・・・
頼もしい若者に出会えて、
ホント良かった!
国旗掲揚台
鹿児島湾沿いの高須トーチカから約15分、
午前9時前、桜花の碑付近に到着。

綺麗に整備された駐車場に車を停め、
まずは案内板へ。

「神雷部隊宿営の地 野里国民学校跡」
国民学校とは、今でいう小学校の事で、
特攻隊員たちは教室を
寝室としていたと記されています。
隊員たちはまだ戦争当事者でなかった
自分の小学校時代を振り返ったり、
また故郷の両親や兄弟を
いっそう思い起こした事でしょう・・
「特攻隊員の生活について」
以下、案内から抜粋します。
「出撃を待つ日々の中で、
宿舎である学校から
周辺の1km四方ほどが、
隊員たちの散歩区域に決められていました。
朝、隊員たちは近くの小川で顔を洗い、
朝食の時間まで草むらに座って
雑談するのが習慣だったといいます。
出撃を翌日に控えた隊員は、
髪を整え髭を剃り、
ドラム缶風呂に入って
身綺麗にしてから眠りました。
翌朝起床すると、
新品の下着に着替えてから
飛行服を身につけ、
白米、味噌汁で腹ごしらえをし、
宿舎に別れを告げました。」
風呂は「禊」、
新品の下着は死装束ですね・・・
もう言葉もありません・・・

桜花の碑へ行く前に、
国旗掲揚台へと向かいます。

神雷部隊の宿舎となった
野里国民学校で唯一現存するのが、
国旗掲揚台で、
上部分は、鹿屋航空基地資料館に
移設されていると記されています。

掲揚台正面から。

階段と手すり。

後ろから。
ここに上って見えた景色は・・

野里国民学校の校庭跡。
今は田畑になっていますが、
平坦地として残っていますね。
桜花の碑
次に道路向かい側の桜花の碑へ。

エントランス。

案内を一部抜粋します。
「人間爆弾と呼ばれた桜花」
「桜花は搭乗員ごと敵艦へ
体当たりするためにのみ設計された
飛行機型のロケットのため、
車輪はついていませんでした。
桜花は一式陸上攻撃機という
航空機の腹部に取り付けられて出撃し、
敵艦の上空で
特攻隊員が乗り込むと切り離され、
突入する作戦に用いられました。
しかし、
総重量2トン以上ある桜花を積み
速度が低下した一式陸上攻撃機は、
待ち受ける敵機の標的となったため、
ほとんどの部隊は
敵艦に到着する前に撃墜され、
桜花が鹿屋基地から
初めて特攻出撃した
昭和20年3月21日には、
1日で160名もの戦死者を出しました。」
この無謀な命令を下したのが、
終戦後多くの部下を巻き添えにして
沖縄に飛んだ宇垣中将です。
人の心をどう考えていたのか、
いや、
考えていればもっと理性的な
命令を出していたはずです・・・

こちらは大分県の
宇佐市平和資料館で見た桜花の模型です。
この諸元や説明を見ると、
桜花がいかに悲しい
乗り物だったかが分かります。
「特別攻撃機 桜花一一型」
「全長6.07m、
全幅5.12m、
全高1.15m、
全重量2.14t
昭和19(1944)年に
海軍航空技術廠で開発された
特攻のための兵器です。
航空隊員が1名乗り込んで、
機体ごと体当たりするため、
人間爆弾とも呼ばれています。
胴体はジュラルミン等の金属、
翼はベニヤ板等の木材で作られており、
機種部分には重さ1.2tの爆弾が
取り付けられていました。
母機である一式陸上攻撃機
(一式陸攻)に吊るされて運ばれ、
敵艦を発見すると切り離されました。
一式陸攻から放たれた桜花は、
尾部にある3本の
火薬ロケットを順番に噴射させ、
時速600Km以上に
加速して突入しました。」
なんともやるせない・・・
搭乗員が人生の最後を迎える桜花は、
正真正銘、特攻隊員の棺桶です・・・
そして、
僕たちが桜花の碑の前に佇んでいた時、
上空に轟音が響きました。

お〜これは!
航空自衛隊の対潜哨戒機「P-1」ですよ!

旋回すると上部も見えて、
その勇姿を見せつけて(笑)くれますね。

石碑群へ。

「明治十二年七月吉日
野里小学校創建之地
昭和五十四年七月
創立百周年記念」

「山下部落跡地之碑」

石碑群の一番奥にあるのが桜花の碑です。

「神雷特別攻撃隊員 別杯之地
櫻花 山岡荘八」
このように刻まれています。
ここに特攻隊員たちが整列し、
別杯を受けていたのか・・・
目をつぶれば
その光景が浮かんで来るような・・・

参拝。

「建碑由来」
「山岡荘八
建碑者小城久氏は此の鹿屋で
特攻隊員として
祖国の危機に参加した同志の霊を葬い、
今後このような戰争のの無い
平和国家日本への祈願を籠めて、
戦後三十三年目に漸く私財を投げうって
私との約束を果たして呉れた。
この野里村の宿舎は
私が海軍報道班員として
岡村司令と寝食を共にし
度々の空襲にも逢って
具に隊員たちの生活を見聞きして来た。
思えば切なく懐かしい土地である。
品来自分の名前は出さないという
小城君の希望であったが
彼の純一無垢な心情から
発した建碑であるだけに
敢えて私は記名するように助言した。
特攻隊訓練の地
茨城県の神之池にも建碑する。
くだくだしいことは言わないが
この碑を見て改めて今後の若い人達の
何かの心の支えとなり
尊い散華の跡を末長く
見守って行って頂けたら
小城君としても此の上ない歓びであろう。
献詩 小城久作
菊雲に征きて還らぬ我が戦友よ
○○の里に今かへりなん」
(○○は判読不能)
山岡荘八氏の戦争関連本は、
40年ほど前に読んでいますが、
山岡氏の特攻隊員への気持ちが、
切々と綴られていたのを思い出します・・
そして、桜花の訓練場所であった
茨城県にも桜花の碑があると知り、
ネットで調べると、
場所は鹿嶋市で、
掩体壕の中に桜花の模型が置かれ、
その横に小城久氏が建碑された
桜花の碑がありました。
いつか鹿島海軍航空隊跡を訪問する際、
一緒にお参りしたいものです。

桜花の碑の横に建立された
「日の丸掲揚台」。

「本物には芯があります
人にも組織にも芯が必要です」
「日本の国の乱れは、国全体に芯が
なくなったからではないでしょうか。
(中略)
神雷特別攻撃隊の魂魄の前に
国の芯の象徴である
日の丸掲揚台を奉じます。」
近年、「日の丸」に
誇りを持つ人が増えてきた気がします。
フィギアスケートの羽生結弦さんを見て、
特にそう感じました・・・
戦後の自虐教育を受けてきた僕たち世代も
SNSの普及で真実を知り、
覚醒してきたようです・・・

桜花の碑を離れる時、
僕たちを見送るように
飛来した航空自衛隊のへり。
命懸けで日本を守る
自衛隊の方々に敬意を持つと共に、
特攻隊の方々が希求して止まなかった
豊かで平和な日本を引き継ぐためにも
日本人としての誇りを持って、
日々生活していきたいものですね!