高須トーチカ(鹿児島県鹿屋市)

 

「赤い御旅所」

知覧特攻基地跡などの有名どころでは、

案内や地図が整備され、

戦争遺跡巡りも楽勝ですが、

それ以外の小さな遺構は、

情報も少なく、

自力で目的の場所を特定する事から

スタートします。

ここ高須トーチカもその一つでしたが、

先人の口コミから、

目印は「赤い御旅所」との

情報を得たことで、

ストレスフリーで巡ることが出来ました。

きっと神様が、

僕達をトーチカに導くために、

御旅所を赤く塗らせたのでしょう!(笑)

薩摩藩常平倉跡

菅原神社(荒平天神)を参拝後、

程なくして海水浴場の駐車場に到着。

海岸沿いの駐車場には、

兵営の門のような、

石造の門柱が建っていて、

なんとなく特別な場所っぽいな・・

と思っていたら

やはりその通りでした!

海岸近くまで行くと・・

ここは、

薩摩藩の常平倉跡地ということで、

「薩摩藩 常平倉跡之碑」が

建立されています。

「常平倉とは、奈良・平安時代及び

江戸時代に主として

米の価格を調整するために

設けられた備荒貯穀びこうちょこくの倉庫である。

米価の安い時に米を買って常平倉に貯蔵し、

値が高くなると安く放出して

価格を引き下げ、価格安定を図った。

高須の常平倉では、鹿屋、新城、

花岡、大姶良。姶良(=吾平)、

高山、串良、高隈、百引といった

中部大隈の米の受け渡しを行なっていた。

「嘉永6年(1853年)11月に

島津斉彬が大隅半島を訪れた際に、

高須地区の常平倉に立ち寄り、

米俵作りなどを見学した」

「藩の受取は大きな帆船が大白浜に来て、

鹿児島へ運んだ」

「明治10年の西南戦争の際は、

高島少将の率いた別働隊が上陸し、

常平倉内の米は

全部官軍が扉を壊して没収した」

などの記録が残っている。」

案内には、このように記されています。

西南戦争での要所は、

第二次世界大戦末期、

本土決戦でもまた重要拠点となり、

その後の進駐軍の上陸と、

ここは「要」の場所なんですね。

高須トーチカ

ここからが本番(笑)

海岸へ。

お〜素晴らしい景色だ〜!

既に「赤い御旅所」も見えていますね。

引き込まれるようにして赤い御旅所へ・・

到着。

御旅所と道を挟んだ

反対側の岩が「トーチカ」です。

まずは僕たちをここに導いてくれた

赤い御旅所に参拝。

ネットで調べると、

「鹿屋市田崎町鎮座、

七狩長田貫神社

(ななかりおさだぬきじんじゃ)

の御旅所」と紹介されていますので

ご縁があれば参拝したいものです。

トーチカの右端は石垣が積まれ、

人工的な部分もよく分かりますね!

こちらはトーチカ自体ではなく、

進駐軍が上陸した時のV Rです。

中に入りたいものの、

入口は見つからず・・・

崖をよじ登り・・・

中を見てみると・・・

お〜意外と広そうですね!

ここで活躍したのが、

愛知県の戦争遺構巡りで初登場した

秘密兵器、「懐中電灯」です(笑)

本土決戦が行われず、

使用される事もなく、

80年以上の時を刻み続けているトーチカ、

これから先、100年1000年と、

平和を見守り続けて欲しいものです・・

 

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