小月神社(山口県下関市)前編
ラッキーマン
小月神社の先々代か、
その前の宮司さんは、
何か見えない幸運を
持たれていた方のような気がします。
石垣の刻印で知ったのですが、
昭和天皇の御大典(即位の礼)の年と、
宮司さんの在職50周年記念が、
同じ昭和3年だったのです。
偶然と言えば、それまでですが、
人生は、ほんの小さな幸運でも、
大きな喜びを持つと、
不思議と良い道が開けるもの。
宮司さん、
ラッキーマンだったのかもですよ!
そして、
妻のラッキーナンバーも「3」。
この偶然、もちろん妻も、
大きな喜びを持ってくれたはず・・
かな?(笑)
表参道
清末八幡宮から車で8分ほどで、
小月神社の駐車場に到着。
二段にわたる立派な石垣、
これは、素晴らしい!
そして、
一段目の石垣に何やら
刻まれているのを発見。
「在職五十年記念
當神社神職
○○○○(お名前)
昭和三年九月」
この石垣がその証の一つですね。
昭和三年で50年ということは、
明治十年、西南戦争があった頃から
神職をされていたのですから
これは凄いことでしょう。
いや〜、
素晴らしい神社に来ました〜!
石段もいい感じ。
一の鳥居。
山口っぽい狛犬で、
玉をくわえられています。
吽形。
案内。
大内義隆が献納した太刀、
清末藩主毛利元平寄進の
社名額があると書かれています。
二段目の石垣。
積み方は、「落し積み」のようで、
デザイン性も高いものですね。
江戸時代初期、丹羽長秀が築造し、
幕末の戊辰戦争で落城した
福島県の白河小峰城の石垣にも
美しい「落し積み」があるので、
ずっと気になっていたところに
この石垣との出会いとは!
白河小峰城に行きなさいという
神様の暗示かな?(笑)
こちらも綺麗な落し積みの右側の石垣。
そしてここで重要な発見が・・・
石垣の正面。
「昭和三年十一月」
次にすぐ横の側面を見ると・・・
「御大典記念」。
これを見て、冒頭に書いた
僕の妄想でもある
「ラッキーマン物語」が
完成したという訳です(笑)
さらに上へ。
石段を登り切ると二の鳥居、
左右には古い燈籠が安置されています。
「寶暦九年巳卯歳九月吉祥日」と
刻まれた燈籠。
西暦で言えば1759年ですから
年齢は280歳ほど。
薩摩藩が、幕府の命令により
多大な犠牲を払いながらも
木曽三川の治水工事を完成させた
「寶暦の治水事件」の数年後に生まれ、
長い年月、風化もせず、
天変地異も人災も受けず、
よくぞ僕たちと
出会ってくれたものです。
左側の燈籠。
手水舎。
古い井戸と、
渋い感じの手水鉢が見えています。
これは素晴らしいですね!
自然石を加工した舟形の手水鉢には
常時流れる澄んだ水が満たされ、
参拝者への歓迎感は満載!
水紋と光のこの雰囲気、
たまらんですな〜(笑)
盃状穴(はいじょうけつ)と
柄杓ときらめく水面。
こちらの風景にも癒されます。
この手水舎から
真っ直ぐ歩いて行くと
本殿なのですが、
小月神社には、
もう一つ、横からの入口があるので、
そちらからも入ってみました。
横参道
参道というのか
入口というのか・・
まあ、参道か?(笑)
「文政八年」の文字が確認できる鳥居。
今から200年ほど前の建立です。
満身創痍ながらも
コンクリなどで補修され、
オリジナルの石を残している燈籠。
柱には「安永庚子」と見えますので、
今より240年ほど昔、
安永九年(1780)の
寄進でしょう。
このようにして、
劣化しても安易に廃棄するのではなく、
古いものを残す神社関係者の努力には、
ただただ敬服です・・・
表参道に合流。
楼門に到着。
ここから本殿参拝へと向かいます。
(続く)