才蔵寺(広島市)

 

可児才蔵

関ケ原の戦いで最も多く

敵の首を獲ったと言われる男、

それが、福島正則配下の

通称「笹の才蔵」の名を持つ

可児(かに)才蔵、です。

「笹」たる所以は、

多くの敵を討ち取るため、

いちいち首を持ち歩けなかったので、

自分の手柄である証拠として、

現場に残した首に、

「笹」をさしていたからというものです。

関ケ原合戦図屏風に描かれた可児才蔵。

(Wikipediaからお借りした画像です)

旗印ならぬ笹を背負った、才蔵さん、

なんともお茶目な感じです(笑)

徳川家康もその武功を絶賛したという

才蔵さんのお墓があるのが、

「才蔵」の名前を冠した、

広島市の才蔵寺です。

崖の上

Google Mapでは辿り着けず、

妻の「アナログ力」を借りながら、

何とか才蔵寺を探し出しました。

山口市の山口大神宮遙拝所の訪問でも

最終手段はアナログ力でしたが、

才蔵寺との共通項は、

どちらも「崖の上」にあるという事。

Google Mapの弱点、

それは

「崖の上のポニョ」じゃなく

「崖の上の目的地」(笑)

それでも、

この地図以上のナビは、

今の所知りません・・・。

案内

まずは案内を確認。

案内を書き出すと、

「才蔵寺は、福島正則の家臣、

可児才蔵を祀る寺です。

才蔵は、宝蔵院流十字槍の達人で、

関ケ原の戦いなどで数々の武功をたて、

槍の才蔵、笹の才蔵と称されました。

晩年は仏門に入り、人々の脳病平癒の

味噌作りに専念し、

栄養の多い味噌を勧めたり、

城下の貧しい人々に味噌を配って

生活を助けるなど

社会奉仕を行ったと伝えられています。

境内には、福島氏が改易になったとき

戦いに備え食料の味噌を集めたという

故事にちなんだミソ地蔵があります。

この地蔵の頭に味噌を乗せて祈願すると、

合格が叶うといわれ、

特に受験シーズンには

受験生たちで賑わいます。」

このようになります。

ここに書かれた宝蔵院流十字槍は、

奈良の興福寺の子院である

宝蔵院で伝授された武術で、

僕達は興福寺を参拝した時、

廃寺になった宝蔵院の

「摩利支天石」を見ていますが、

妻は忘れているでしょう(笑)

因みに、こちらが摩利支天石です。

また、

ミソ地蔵の故事ですが、

福島正則が改易になった時、

既に才蔵さんは亡くなった後・・・。

なので、

このお話には少し無理がありますが、

これほどまでに才蔵さんは慕われ、

人望が篤かったという証拠なんでしょう。

案内の横にあるのが、

交通安全災難除地蔵尊で、

その左側には3つの石柱があります。

一つ目の石柱は、

地蔵尊についての案内が刻まれています。

要約すると

「唖仏さん、隠れ地蔵さんと云われ、

危険に襲われた時、

このお地蔵様の陰に隠れ、

「どうぞ、私がここに居ることを敵に

言わないでくれ」と

お地蔵様にお願いすると

「私は言わぬが、お前が喋るな」と

戒めて救われたという。」

このようになります。

2つ目と3つ目は、

史跡 広島市井発祥地才蔵峠案内。

超訳すると

「この通路は参勤交代の大名が往来した

才蔵峠である。

才蔵寺は、可児才蔵が居住していた

偕楽軒という山荘の跡である。」

かなり端折りました(笑)

参道

才蔵寺参拝者は、

目の前の病院の駐車場が

使えるように配慮がされています。

これって、なかなか稀有な事で、

病院にはホント頭が下がります。

右側が病院、左側の細い道が参道。

参道を進み・・・

石段へ。

石段右側には石仏が並んでいて、

少し登ると、案内碑があります。

「四国八十八所巡礼霊場」

案内を書き出してみると、

「この模擬霊山に配列安置されている

石の仏像は戦国時代広島城主

福島正則の参謀の可児才蔵が、

部下の遺骨を葬る墓石が

敵に破壊されるのを恐れて、

石仏を墓碑にして祀った事が、

後世四国巡礼霊場になぞらえて

現代まで保有された霊園である。」

このようになります。

山門

ここに来て大問題発生(汗)

鍵が閉まっています・・・

が、

右側を見ると、こんな案内が。

「ご参拝の皆様に

黒い鍵ケースをあけてお入り

くださいますようお願い致します。」

このように貼り紙がされています。

いや~助かった!

これで可児才蔵さんのお墓に

参拝ができますから。

鍵を持ったまま中へ。

帰りがけに戻すのを忘れたら、

また広島までこないといけませんから

ちょっとドキドキですが(笑)

可児才蔵像

ここでの目的は大きく二つ。

一つは可児才蔵さんの墓参り、

もう一つは、

可児才蔵像の見学です。

境内入ってすぐ右側の水かけ地蔵。

案内にあったように、

「旧國道 才蔵峠」と書かれています。

お~いらっしゃいました!

可児才蔵さんですよ(笑)

十字槍を持った才蔵さん。

強さと優しさを醸し出す表情、

なかなかの秀作ですね!

台座の案内。

「可児才蔵 別稱 藤原吉長

(一五五三~一六一三)

才蔵像は、関ヶ原合戦図屏風

(彦根城美術館蔵)・その他の史料を

参考として再現した。

(後略)」

このように書かれ、

2004年に建立されています。

可児才蔵の墓(ミソ地蔵)

才蔵さんのお墓は、

建屋で墓石を囲み、

「ミソ地蔵」というお堂となっています。

小さいながらも高欄付きのお堂。

参拝。

ミソ地蔵の後ろには

奉納された「味噌」が、

大きな網カゴに入っているので、

墓石は頭の部分しか見えませんが、

近くで見ると、

一部は読むことが出来ます。

「生國尾州

かにさいざう・・・

干時慶長・・・」

まあ、だいたい判るからいいでしょう!

墓の背後。

「(吾死せばこの地に埋葬して墓石を建てよ

死後三日内に墓背に竹が生ずるであろう

首より上を病むものはその竹の葉により

利益を願えば必ず治癒を得さしめん)と

遺言して慶長十八年十一月二十四日

六十歳で大往生を遂げた。」

これは墓表の案内の一部ですが、

確かに竹は生えていますね!

ただ、かなり若い感じですが・・・

それは大人の事情という事で(笑)

本堂

次に本堂へ。

お墓が先になりましたが、

まあ、良いでしょう。

本堂。

本堂前の石碑。

「重要文化財 縁結びの神様

雙身愛情歡喜天金像」

このように刻まれていますが、

実際には見られません。

どんな形の像かと思い

Wikipediaで調べると

一般的な「歡喜天」は、

男女の仏様(神様)が、

立って抱擁している姿なのです。

Wikipediaからお借りした画像。

これを見て思い出したのがこちらです。

小田原市の石垣山城前にある

一夜城 Yoroizuka Farm

遺愛碑とともに建つ像です。

亡くなった川島なお美さんと

鎧塚さんの愛情を表している姿と

勝手に想像していたのですが、

歡喜天にも通じる、

もっと深い意味も含まれていた事、

ここでようやく理解できました。

「さすり地蔵」がいらしゃる本堂に参拝。

可児才蔵供養塔

お墓とは別に、

才蔵さんの供養塔の存在を確認。

ならば参拝へ・・・。

新し目の五輪塔で、

奥のお墓は歴代の

和尚様のもののようですが、

定かではありません。

参拝。

墓石の台座には、

大寺山願興寺」の名があるのですが、

可児才蔵が生まれ育った

岐阜県のお寺の名前で、

実際に願興寺のブログでも

才蔵さんの事が書かれています。

墓石には「尾張(愛知)」とありましたが、

こちらが正しいのかも知れません?

最後は可児才蔵像とともに、

スリーショットで〆。

才蔵寺、盛りだくさんで、

素晴らしいお寺でした!

今日の注目

才蔵寺の数あるお地蔵様の中で、

めっちゃ気になったのがこちらです。

「ぽっくり様」

「安楽死悲願」

もうこれだけで笑わせて貰えます。

しかも

「ぽっくり様へ

線香をぽっきり折って供えて

無邪気に祈りましょう 才蔵寺」

これが参拝方法ですよ(笑)

「ぽっきりでぽっくり」

ユーモアのセンスも抜群!

心に残るぽっきり様でした。

 

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