坂本城跡(滋賀県大津市)

 

昔の姿を感じられる?

明智一族の城がなくなり

流浪とも言える前半生を送った

明智光秀が、

遂に一国一城の主となったのが、

ここ坂本城です。

信長という上司がいたから

光秀の才覚は花開き

城持ちとなれたのでしょう。

そんな坂本城、

築城から450年ほど経った今は、

殆ど遺構らしきものはありませんが、

とにかく行ってみれば何かを感じられる?

そう思い訪問してみました。

坂本城址公園

ここはお城の遺構を楽しむというよりは、

町民の憩いの場的な公園で、

位置的にも城跡を

少し南に外れた場所になります。

駐車場前の古い石碑。

昔はここが城趾だと思われて

建てれたのかも知れません。

案内。

現在、本丸は琵琶湖に沈んで、

その遺構は水の中だそうです。

坂本城のCG写真はかっこいい(笑)

安土城築城よりも7~8年前の、

元亀二年(1571年)に

建てられたものが、

本当にこの姿だったならば、

明智光秀の先駆者ぶりは、

相当なものだったと言えるでしょう。

明智光秀の像。

五頭身位のぽっちゃりして

可愛らしい光秀ですね。

以前、福井城で見た結城秀康の像と

相通じるものを感じます。

こちらがその結城秀康像。

なんか似てる?(笑)

それはさておき、

このすぐそばにあるのが、

こんな歌碑です。

鳥羽一郎が唄う、

「光秀(おとこ)の意地」。

「武士は散れども 桔梗は残る」

なかなか素晴らしい歌詞ですよ!

確かに今、滋賀県に行くと

至るところで桔梗紋を見ますから(笑)

鳥羽一郎、大分県佐伯市の鶴御崎にも、

歌碑がありましたし、頑張っていますね!

そのうち芭蕉の碑に張り合えるかも?(笑)

こちらは石垣の遺構でしょうか?

石垣&琵琶湖。

琵琶湖を背にして公園を撮影。

光秀もこんな景色を見てたのかな?

公園の端っこで見つけた山王鳥居。

日吉大社の山王祭では、

ここから神輿を船に乗せる

船渡御が行われるそうです。

再び公園内へ。

明智くん(笑)バックに撮影。

二の丸跡へ

公園から二の丸跡へ歩いてみます。

途中見つけた弁財天社。

檜皮葺の屋根を護るように

覆屋が造られています。

地元に愛される神様なのでしょう。

二の丸跡にある坂本城址碑。

石碑の周りには、

五輪塔など古い石仏が

置かれています。

ここも二の丸跡にある東南寺。

門が閉まっていたので、

外から本堂を撮影。

なかなか往時をしのばせる遺構は

発見出来ませんでしたが、

駐車場に戻る道すがら、

素晴らしいものを発見しました。

オニヤンマ!

妻の目の前にふっと止まったのです・・・。

妻が夢で見たオニヤンマ、

最近よく来てくれます。

今日の一枚

「武士は散れども 桔梗は残る」

確かに路上にも残っていました!

水色桔梗ならぬ赤色桔梗?(笑)

 

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