出光佐三展示室(宗像市赤間)

 

海賊とよばれた男

福岡県宗像市赤間の出身で、

出光興産の創業者、出光佐三は、

百田尚樹の小説・映画で、

「海賊とよばれた男」の

モデルとなった人物です。

10年前の映画封切り時、

僕たちも映画を見て、

佐三さんの大まかな人生は、

分かったつもりでした(笑)

今回、展示を見て思ったのは、

「わかったつもり」でも

映画館を観ていて、

ほんと良かったという事です。

佐三さんの歴史年表を見ても

「あ〜これは、あのシーンか!」

なんて映画の場面が、

次々に脳裏に現れるのです。

映画の効能をこれほどまでに感じたのは、

恐らく初めてでしょう。

ただ、

妻は映画の内容を

全く覚えていませんでしたけど(笑)

展示室

七社宮徳満神社を参拝後、

出光佐三展示室へ。

こちらは後ほど行った

「街道の駅 赤馬館」で貰ったチラシで、

展示室が赤間宿のメインストリートに

位置しているのが分かります。

到着。

玄関から中へ。

室内はこじんまりして、

パネルと物の展示も

コンパクトにまとめられ、

サクッと見られるのが、

せっかちな僕には有難いです(笑)

ここからは、

気になった箇所を

書き出してみます。

「故郷への思い」

「人をつくる」

「昭和26(1951)年2月、

両親の法事のために

地元・宗像を訪れていた佐三は、

地域の座談会に来てもらいたいと頼まれ、

出席します。その際のエピソードを

当時の佐三は次のように語っています。

「(前略)赤間の町会に来て

皆にあってもらいたいとのことであった。

仏事の中を抜け出した。

町長や有志者の話の中に、

昨年町制50年の祝いをしたが、

町としてはいっこうに発展しないで

困っているとの紋切かたの話があった。

私は次のような所感を述べた。

事業には立地条件があるから、

条件の悪いところには事業は起こらない。

宗像郡は昔宗像神社の御神域である。

大神の御神徳によって

人情敦厚、気風剛健の特色をもっていて、

多くの教育者を出している。

人間をつくることには

優秀の立地条件を備えている。

事業を起こし金を儲けるだけが

人間の事業ではない。

人をつくることこそ事業中の大事業である。

この方向に進まれることをお勧めする。

ただし、こんな大事業は簡単に

短時日の間に出来るものではない。

ことにお互い現代の国民は

戦争をもとどめえなかったような

弱い落第性であるから、

われわれの子供や孫の時代に

この大事業を完成する

覚悟があらねばならぬ。

まずはお互いの家庭教育から

始めるべきである

と結んだところが、

さらに質問が出て、

この大事業をなすにも資金はないし、

いかんともし難いが

どうすればよいか、とのことである。

私はこれに答えた。

私の言う人は、

他人の金や恵みを期待しているような

依頼心をもつ人を

つくれと言ったのではない。

まず自分のことを完成し、

その余力をもって人のために

尽くすような人を希望するのであって。

依頼心のある人などは

将来とても人のために尽くす人ではない。

排斥すべき人である。

黒田如水公の言われた、

多きも人、少なきも人なり、の

少なき人をつくりたいのである。

こんなことで座談会は終わった。

人間尊重は郷里へも徹底していない。

人に頼る、さらに人より奪う、

この思想は権利思想の履き違いである。

しかしこれが現世の常識である。」

このように

厳しい言葉を発した佐三でしたが、

発足当時は1つの本校と

4つの分校に分散していた

国立福岡教育大学の統合・移転の際には、

これを宗像に誘致すべく積極的に活動し、

巨額の寄附を行うなど

多大な貢献をしました。

その甲斐もあって同校は

昭和41(1966)年に赤間に移転。

その後も

「国家の役に立つ教師になって欲しい」と

学生への奨学金を毎年継続するなど、

宗像で人をつくることに情熱を注ぎました。

※「多きも人、少なきも人なり」

人は多いが有能な人材は少ない、の意」

佐三さん、

厳しいことは言っても

いい意味で結局は地元に甘い人(笑)

Wikipediaによれば、

今の福岡教育大学の土地は、

佐三さんの寄附だそうですよ!

やはり地元赤間を本当に

愛していたんですね。

「出光佐三の言葉」

3つある中で、

最後の「信じるものをもつ」

特にこれに共感しました。

「私の育った町には宗像大社という

有名な神社があった。

私はその御神徳を受けたと考えている。

私はいま神社の復興をやっているが、

神というものを今の人はバカにしている。

私どもにはバカにできない事実が

たくさんある。

私の会社は災害を一度も被っていない。

理屈はいろいろつくかもしれないが、

社員は神の御加護と信じているのだから

しょうがない。

また信じないわけにはいかないだろう。」

確かに僕たちにも

心当たりがあるというか、

あり過ぎます(笑)

人智では到底及ばないものが、

この世の中には存在すること、

体験上間違いはありません・・

特に妻の身の回りでは!

「苦労をすればするほど

人間は完成に近づく」

この中で語られている

「まず俺は大学を出た、

卒業したという気持ちと

卒業証書を捨てろと言う。

人間社会の人情の複雑な中に飛び込んで、

その中で

鍛えて鍛えて鍛え上げていくところに

人間の偉さが出てくる。

苦労をすればするほど

人間は完成に近づくのだ。」

ここに大いに共感するとともに、

反面、人情の複雑な中で、

鍛えられることに疲れ果て、

引きこもったり、

命を断つ人が多々いる事も

考えてしまいます・・・

人というのは、

強く生きられる人もいれば、

それが無理な人もいる・・・

それを思えば、

良いか悪いかは別として、

僕は人間界というものを

「それもこれもあれも皆ただの生命体、

それ以上でもそれ以下でもない」と

達観してしまうのです・・・

日章丸二世ペーパークラフト。

これが命懸けで、

イランを往復した船です。

仙厓さんの絵をみっけ!

学芸員らしき女性の話では、

出光佐三さんは仙厓和尚の大ファンで、

出光のカレンダーは仙厓さんの絵が

使われているそうです。

仲良く並ぶ仙厓さん(左)と

佐三さんの作品。

赤間小学校は佐三さんの寄付で

素晴らしい施設が出来たそうです。

やはりこれも郷土愛ですね!

「目が悪くした為、読書のかわりに

自分で考える習慣を身につけた」

この転換ができる人だからこそ

佐三さんは、大成したのでしょう。

江戸時代、盲目の塙保己一はなわほきいちが、

按摩も針も一向に上達しないという中、

学問一つで身をたて、

古代から江戸時代初期までの

日本の歴史書をまとめた、

群書類従ぐんしょるいじゅう」という壮大な書物を完成させ、

国学者としてその名を歴史に留めているのと

同じ凄さを感じます。

出光佐三の生涯。

佐三の歩み。

ここで学芸員さんから

「出光商会創業の前、

日田重太郎さんから

創業資金を得たのが、

佐三さんの飛躍となった

大きな原因で、

生涯その恩を忘れなかったそうです。」

こんな解説を受けました。

気になってWikipediaで調べると、

佐三さんは資産家である

日田重太郎さんの息子の

家庭教師をしていたと記されています。

佐三さんの運の良さは、

日頃の生き様の賜物だったのでしょう。

宗像大社さんの御加護は絶大ですよ!

「佐三の歩み」の最後には、

宗像大社のお札が・・・

そしてもう一つ、

出光の巨大タンカー

「沖ノ嶋丸」の模型です。

宗像大社の沖津宮が鎮座する

「沖ノ島」の名が由来かと思われます。

「島」を「嶋」としているのは、

そのまま使うには憚られるとか、

神様への敬意からの

ことかも知れませんね。

出光佐三展示室、

多くの刺激と気付きを貰える、

素敵な空間でした!

 

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