ひみつ基地ミュージアム/松根油乾溜作業所跡
結果ではなく経過
第二次世界大戦末期、
東南アジアから日本へ
石油を運ぶルートは、
米軍により完全に遮断され、
兵器を作ったとしても
動かせない状況が迫っていましたから、
「松根油(しょうこんゆ)」の採取は、
「溺れる者藁をも掴む」を
そのまま具現化した形でもあります。
ガイドさんのお話によると
松根油は飛行燃料として、
ほぼ使い物にならなかったそうです。
正真正銘の「藁」だった
というわけですが、
ただ、この史実を、
「非科学的で意味のない事をしたな」と
あざ笑う事は出来ません・・
愛しい人、そして国を守る為に、
「必死」で行った行為なのですから。
やはり結果ではなく経過なんです・・
報われなかったとはいえ、
先人のこの必死さがあったが故に、
今の日本の形はあるのですから。
「松根油」、
特攻隊などと同じく後世に、
語り継がれて欲しい貴重な歴史です。
隊門
隊門と松根油乾溜作業所跡は
セットで巡ります。

こちらはパンフの部分拡大で、
ひみつ基地ミュージアムから
庁舎居住エリアまでは、
ガイドさんの車に先導してもらい、
自分の車で移動するという、
ちょっと珍しい方式です。

まずは居住エリアの「隊門」付近と
いくつかの記念碑へ。

「人吉海軍航空隊」碑(左側)
「予科練 人吉海軍航空隊 五期会」碑。

「人吉海軍航空隊 予科練
第一期生一同」碑。

隊門前。

球磨川の河原石でしょうか?
軍隊の門なのに、
ちょっと和やかな雰囲気です・・
ガイドさんは、
「生徒たちは、
ここから航空基地まで
長い距離を毎日走って通うのですが、
それは、
相当に辛かったそうです」
このように話していました。
何事も「精神論」の時代、
「肉体を鍛えてこそ
頑強な精神が育まれる」などという
思想があったのかも知れません。
松根油乾溜作業所跡
隊門横のちょうど真下位が、
松根油乾溜作業所跡なので、
駐車場からは階段で降ります。

何も無かった薮を切り開き、
こんなに立派な階段と
散策路を整備された方々には、
頭が下がる思いです・・

まるでスキージャンプ台みたい?
絵になりますな〜この階段!

途中冠水していたので、
縁石の上を歩く妻。
これも雨の日ならではの体験か?(笑)

ガイドさんが飛行場用水路について
案内をしてくれましたが、
詳しい内容は覚えていません(汗)

目的地まであと70m。
用水路を確認する妻。

さらに先へ。

お〜見えてきた〜!

こちらは用水路対岸の遺構。
何だったか忘れてます・・

松根油乾溜装置は並列に5箇所あり
そのうち4箇所は発掘後埋め戻され、
1箇所の遺構が見学可能となっています。

以下、案内の抜粋・要約です。
「庁舎居住地区隊門直下のこの場所で、
人吉海軍航空隊の直営により
松根油製造が行われた。
当遺跡では1基につき、
2口の百貫釜が設置された
全5基の乾溜装置(以下「窯」)跡が
確認されている。」
「人吉海軍航空隊司令
田中千春海軍大佐の回想録によると、
百貫釜は支給されたが、
その築炉には隊内の
レンガ工経験者を集めて対応し、
材料には寄せ集めのレンガや石を利用、
蒸気を冷やす冷却装置としては
冷却管を竹で、
冷却水は飛行場用水路から取水された。
なお、北に位置する
1号窯跡と南に位置する5号窯跡とでは
使用される材料に違いがみられ、
タール分離マスにカメが用いられるなど、
施設の簡素化が確認できるが、
これは国策として掲げられた
松根油増産に伴い
増設されたものと考えられる。」
「■松根油 しょうこんゆ」
「元来、民需品として塗料の原料や
香料などの利用されていた、
松の根を乾溜する事で抽出される液体で、
航空燃料の代替燃料として、
山村部を中心に
民間で緊急増産が進められた。」
「■松根油と特殊攻撃機「橘花(きっか)」
「国産初のターボジェットエンジン
「ネ20」を搭載した「橘花」は、
松根油を含有する燃料を
エネルギー源とし、
1945年(昭和20)8月7日に
12分間の飛行に成功。
終戦までに2機の試作機が完成した。
「ネ20」の開発に携わった
種子島時休海軍大佐と田中千春大佐は
海軍大学校の同窓生であった。」
最後の橘花について、
ガイドさんによれば、
ジェット機が松根油のみで
飛んだのではなく
松根油も少し混ぜた程度ではないかとの
お話だった記憶があります・・

1号窯跡。
まるで古代遺跡のようにも見えますね!
ここで再び案内を抜粋します。
「地上部の上部構造物は
戦後消失しているものの、
下部構造については焚口、百貫釜設置箇所、
タール分離マス、松根油分離マスなどが
比較的良好な状態で現存している。」
「松根は大まさかりで砕いた後、
手斧によってさらに細かく砕かれた。
百貫釜に入れた松根の細片は、
約300度で空焚きされ、
出てきた蒸気を冷却し、木酢液、
タール、松根油がその比重差によって
各マスに分離される。
抽出までには14〜16時間を要し、
従事した隊員の顔は真っ黒になったという。
百貫釜に残った木炭は火鉢にくべられ、
タールは煤(すす)と練り合わせ
靴墨として使用されるなどした。」

焚口、百貫釜設置箇所。

タール分離マスと松根油分離マス。
ガイドさんは懇切丁寧に
説明してくれたのですが、
どっちがどっちだったかは、
忘れています(汗)

松根油乾溜作業所全景。

奥側の用水路を隔てた向かいには、
地下発電所跡があります。
ここも本土決戦を見据えて
作られたのでしょう。

ズームすると入口が見えています。

帰路につく妻。

帰りはスキージャンプ台を登ります(笑)
(続く)