ひみつ基地ミュージアム/地下魚雷調整場

 

プレミアムプラン

ひみつ基地ミュージアムの見学メニューは、

ベーシック、スタンダード、プレミアムの

3つがあり、その全てに

戦争遺跡のガイドツアーが含まれています。

来訪者全員が「現場」を体験出来る、

実に優れたシステムだと感じます。

そして僕たちは、

遺跡をじっくり2時間ほどかけて巡る

「プレミアムプラン」を選択。

実際に体験してみると、

ガイドさんの説明もかなり詳しく、

数箇所の地下施設に立ち入る事も出来、

充実度満点の内容でした。

戦争遺跡に少しでも興味がある人ならば、

「プレミアムプラン」一択で、

間違いないでしょう。

フィールドマップ

見学の前に、

基地跡のマップを確認します。

表紙。

持ち運びの利便性を考えて、

A3を八つ折りにしたもので、

野外見学ツアー中にも

使いやすいものとなっています。

マップを全開した状態(詳細図)。

プレミアムプランでは、

Aの地下魚雷調整場、

地下兵舎壕、地下無線室、

Bの隊門、松根油乾溜作業所跡を

ガイドさんと一緒に巡る事ができます。

反対面は広域図です。

地図には見学不可の場所も含めて

詳細に記され、

この基地がいかに大規模だったかが、

想像できますね。

ガイドツアー集合場所

ガイドツアーの集合場所は、

館内東側にある「東屋」です。

館内マップで見ると右端で、

ガイド催行時間も記されています。

東屋へ向かう御一行様。

東屋。

ツアーの中で、

車での移動はありませんので、

この車は気分高揚のため?

置かれているのかも知れません(笑)

東屋に貼られたマップ。

今は見学不可だけど

「トンネル陣地」が気になるな〜!

車には乗らないものの

やはりここで出発の敬礼は

欠かせません(笑)

真っ直ぐ伸びた飛行場の誘導路跡

(現在は生活道路)を

見ながらガイドツアースタート。

木上加茂神社

まずは階段で降ります。

綺麗に整備された見学コースは、

超気持ちいい!

注意喚起も、

ユーモアたっぷりで、

素敵だな〜!と

思っていたら、

これが呼び水なったのか、

はたまた引き寄せか、

地下魚雷調整場の次に巡った

兵舎壕では二匹のヘビさんと

遭遇する事に!

一際目立つ案内板。

真っ赤な案内で、

気分も高揚します!

木上加茂神社前を通過・・・

参拝する時間はなく、

横目でチラ見する程度ですが、

それでも神社好きの僕は、

本隊に遅れつつも(汗)案内を撮影。

京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と、

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の

御祭神が祀られ、

さらに、

「太平山の恩人 窪田越後の

四百年祭を機に昭和五十五年、

窪田越後守藤原長善命として

増祀し、祭神は三柱となる」

このように記載されています。

「太平山の恩人」の窪田越後守が

気になって調べると

錦町のサイトには、

以下が記されていました。

「永禄2年(1559)球磨郡を二分する

“獺野原(うそんばる)の戦い”で

越後は木上の兵を率いて

18代相良義陽のもとで

大きな戦功をあげ勝利に導きまし た。

戦後恩賞として水田五町三反が

与えられましたが、越後は

「今回の手柄は私 一人のものでなく

木上の兵の力によるものです。

願わくば私への恩賞に代え山の少ない

木上村に大平山を頂けますならば

皆の喜びはこれに過ぎるものは

ありません。」

と申し上げました。

義陽はこの申し出に感じ入り、

水田は越後に与え、

大平山を木上村に与えました。

この時から大平山は木上の飛び地として

建築材、薪炭 等を得る

大切な山となりました。

越後は天正8年(1580)に

亡くなりましたが、

木上の人々にとっては

最大の恩人として現在に至るまで

尊敬されています。」

これは・・凄い事ですね!

400年以上経っても

今なお尊敬され、

神として祀られるとは。

80年前の戦跡巡りで、

400年以上前の貴重な歴史まで

知る事になるとは、

戦跡巡りの域を超えていますよ!

また、

窪田越後守のお墓も文化財として

大切にされているようですので、

こちらも気になるところ、

ご縁があれば、

いつかお参りするかな?(笑)

ガイドさんが歩きながら

「本殿は覆屋の中です」

確かこんなお話をされていた

記憶がありますが、

その本殿までは行けず、

時間がない中、

遥拝気味に手を合わせ、

本隊を追いかけます(笑)

地下魚雷調整場

ここらが本番。

お〜穴が見えて来た〜!

入口前でガイドさんの説明を聞く御一行様。

地下魚雷調整場の略図。

手作業の跡がしっかり残っています。

屋へ。

さらに進みます。

一つ目の「地下魚雷調整場」。

ここだけはガッチリと

分厚いコンクリで固めてあり、

爆発の危険を感じます・・・

当時の木片

天井には鉄筋が出ていますが、

ここでの主役は、

こちらのお方です・・・

コウモリ!

ガイドさんのお話だと

冬眠中だそうですが、

この形「コウモリ傘」と

そっくりですね!いや逆か(笑)

コウモリ傘、

今では見かけないかな?

もう一つの「地下魚雷調整場」入口。

コンクリの様子が

よく分かります。

実物大の魚雷を前に、

ガイドさんの説明に聞き入る御一行様。

「実物大模型 九一式魚雷」

以下、説明の要約です。

「構造が極めて簡単で、

取り扱い改造が容易であり、

どんな雷撃機でも搭載可能で、

一度調整した魚雷は燃料を入れ替えるだけで、

4〜5回の連続発射が可能であった。

この魚雷に装着された空中安定舵と框板は、

航空魚雷による浅深度での

魚雷攻撃を可能とし、

昭和16(1941)年の

真珠湾攻撃の際に実効性を証明している。

昭和6(1931)年から

昭和20(1945)の終戦まで、

改良を繰り返し

頭部が「改一」から「改七」、

胴部が「改一」から「改五」まで

製造された。

昭和20年に運用されていた

人吉海軍航空基地では、

最終型に近いものが、

生産されていた可能性が高い。」

艦上攻撃機「流星」の

魚雷装着飛行の姿、

珍しいですね。

模型全景。

ここは戦後掘られているそう・・

洞窟探検?に足取り軽やかな妻。

ほんと「穴蔵」が好きなんですよ(笑)

右はもう一つの出入口ですが、

御一行様は本来コースで、

帰路へつきます。

穴の説明忘れた・・

来たみちを振り返って撮影。

もうすぐ冒険も終わりです。

(続く)

 

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