依佐美送信所記念館・内覧/刈谷市

 

日米双方の潜水艦へ発信

依佐美送信所の公式サイトによると

真珠湾攻撃の暗号電文、

新高山にいたかやま登レ一二○八」は、

ここ依佐美送信所から長波を使い、

日本連合艦隊の潜水艦部隊に向けて

発信されたと記されています。

敗戦後、依佐美送信所は、

GHQから解体命令が出て、

廃止される事になったものの

その直後、

米海軍が潜水艦向けに

長波送信所として活用する事になり、

東西冷戦終結まで、

長期間使用されていました。

要するにここからは、

日米双方の潜水艦に向けて、

長波が発信されていたのです。

敵味方を超えて活躍した

依佐美送信所、

ドイツ製の機器と共に、

その実力は、米軍も認めるほど

優れたものだったのでしょう!

パンフレット

まずはパンフレットから

書き出してみます。

「依佐美送信所記念館」

「依佐美送信所は昭和4年に建設された、

当時としては世界最大級の無線送信施設で、

長波によるヨーロッパへの送信を

日本で初めて行いました。

これにより当時の外交や

通商は飛躍的に進展しました。

その後短波通信設備も強化され、

長・短波ともに日本の国際通信施設としての

重要な役割を果たしました。

第2次世界大戦後の

在日米国海軍による接収、

平成6年の日本への返還を経て、

その役割を終えた送信所は

平成18年に解体されました。

この送信所の

産業遺産としての価値を評価し、

長波用送信装置および

関係資料を保存し

後世に伝えていくことを目的として、

ここに

依佐美送信所記念館を建設しました。」

「記念館機器配置図」

解体前の送信室内の機器は、

左下の写真のように

全部白く塗られていますが、

現在ここで見られるものは、

ドイツから輸入した当時の

黒っぽい「オリジナル色」に

塗り替えられています。

「関連年表」

ここでの注目は、

昭和22年の鉄塔解体命令と

昭和25年の在日米海軍が接収です。

米海軍が使わずそのまま解体され、

ここが更地になっていたとすれば、

今の貴重な遺構は

殆ど残っていなかったでしょうし、

僕たちも訪問する機会は、

無かったかも知れません・・

運命とは不思議なものです。

内覧

外観の散策を終えて内覧へ。

正面入口。

案内の内容は、

ほぼパンフと同じですが、

注目は両端に付いた槍(笑)です。

送信塔をオマージュしたものでしょうか?

内覧開始。

パネル説明は時々(笑)

抜粋していきます。

「世界遺産グリメトン送信所

スウェーデン」

「アメリカへ移住した人々との連絡のため

1924年に建設された。

今も電波を発信できる状態で

保存されている。

このタペストリーはグリメトンから

依佐美送信所に贈られたものです。」

これはすごいですね!

100年前のものが、

使える状態で保存されているとは!

文化を残す意味の大切さを、

スウェーデンの方は、

深く理解されているのでしょう。

昭和5年に発行された

依佐美送信所の紹介。

注目はこんな言葉です。

「テーブルの片隅で発信して

同時に他の片側で挨拶を聞く、

9.300キロの隔絶も、

こゝでは面接同様である。

正にこれスピード時代の

トップをきるものである。」

面接同様という表現が、

気に入りました(笑)

ありし日の依佐美送信所ジオラマ。

8基の鉄塔も再現。

建築中の依佐美送信所。

ドイツ製の機器類。

「長波用送信装置」の説明ですが、

僕には全く理解できず(汗)

「長波用アンテナ設備」

ここでの注目は、

「鉄塔用の支線は、

鋼素線を人力で束ねて撚線化するという、

手造りワイヤーロープであった。

これらの支線は腐食の程度により

逐次張り替えられ、

昭和62年(1987)には

全支線が交換され、

当時のものは姿を消した。」

8基の鉄塔を支える支線が、

手造りというのは驚きですが、

昭和62年まで

オリジナルが残っていた事が

それに輪をかけてビックリですね!

「長波通信から短波通信へ」

「当時の対ヨーロッパ通信の主役は長波で、

補助として短波を使用する予定であった。

しかし、長波は夏期には空電のために

1日10時間しか通電できないのに対し、

海軍製短波装置では

22時間の交信が可能なことがわかった。

そのため依佐美送信所では

短波通信施設の増強が図られた。

とくに昭和5年のロンドン軍縮会議に備えて

最新式のRCA製短波送信機を設置し、

同7年には

ジュネーヴの国際連盟会議に備えて

短波通信施設の増強のための

短波専用局舎を構内に設置した。

昭和11年には

送信所の南方約1kmの地点に

短波専用局舎が完成して

本格的な短波通信時代に入った。

同13年には日本無線電信株式会社と

国際電話株式会社とが合併して

国際電気通信株式会社となり、

対中国、対中東向け短波通信の

設備を強化した。

このように依佐美送信所は、

長波と短波の両方の

対ヨーロッパ通信において

重要な役割を果たしてきた。」

長波も短波も僕には

さっぱり分かりませんが、

要するに何事も

見極めながら活用するのが、

ベターという事でしょう。

「依佐美送信所の戦後と現在」

「昭和22年(1947)、

国際電気通信株式会社はGHQから

国策会社であるとの指定を受け、

解散命令が出された。

依佐美送信所も閉鎖され、

長波施設を残してすべての短波施設は

移転または撤去された。

長波施設も解体撤去の予定であったが、

同25年に在日米国海軍が

同所を接収し再運用を始めた。

間もなく

企業再建整備法に基づく第二会社として

電気興業株式会社が設立され、

依佐美送信所の長波通信施設の

保守運転を行うこととなった。

当初は米国海軍通信隊員が駐在したが、

同30年3月に全員撤退したので、

その後は全面的に

電気興業株式会社が保守・運用した。

また同45年には送信方式が

発電機式から真空管式に変更された。

米国海軍は平成5年(1993)8月から

依佐美送信所からの送信を停止し、

翌6年6月に本施設を返還する旨を

日本政府に通知してきた。

そして同年8月に施設は日本側に返還され、

翌7年末にアンテナ用架線の撤去が行われ、

翌8年8月から9年3月にかけて

鉄塔の撤去が行われた。

現在では当館内に

送信設備の一系統が移設保存され、

当館に隣接した2号塔跡地に

高さ25mの記念鉄塔が残され、

平成19年4月に

依佐美送信所記念館が開館した。」

何度見ても、

このストーリーには感動しますね。

GHQのお偉いさんは何も知らず、

「日本のボロ軍事施設なんか全部撤去だ!」

なんて指示したら、

それを聞いた米海軍が、

「ちょ、待てよ!(キムタク風?)

ここ凄い施設だぞ!

我が軍の潜水艦向けに、

めっちゃ使えるやないか〜!」

なんて会話があったかも?(笑)

大きさ比較の為妻登場。

航空写真。

モールス信号記録装置。

米海軍部隊の紋章盾。

電波っぽいデザインで、

左側には「司令の声」なんて

記されているもの面白いですね。

高圧コイル?

忘れててます(汗)

二階からの風景。

ここで妻が発見したのがこちらです。

これは、

外にあったのと同じものですね!

外から見た時、

「これ、何だろう?」

みたいに思っていましたが、

この用途は、

案内で確定しました。

「壁貫通碍子(壁抜きブッシング)」

「送信機出力をアンテナに接続するには

送信室の壁を通る必要がある。

壁から高圧大電流の導体を絶縁し、

かつ機械的強度を持たせるため、

昭和初期に日本で開発された。」

絶縁するには碍子、

今も昔も変わってません。

壁貫通碍子の前にある

ローディングコイル。

2階の真ん中から機器類を俯瞰。

屋外に出てツーショット完了。

この後、

三河湾を半周するようにして、

渥美半島の田原市へと向かいます。

 

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