渥美線電車機銃掃射跡地(田原市)

 

終戦の前日に・・

渥美半島の大半を占める田原たはら市。

そんな田原市へ行く前に知ったのは、

ここが大久保佳代子さんの

出身地であること(笑)

Wikipediaによると

オアシズの相方、

光浦靖子さんも田原市出身の幼馴染で、

高校まで同じだったそうで、

こんな情報、今回の旅には

何の関係もないはずでしたが、

実は大いに関係していたのです・・

それは、

田原市の神戸かんべ駅近くでは、

終戦前日の昭和20年8月14日、

渥美線の電車が米軍機から

機銃掃射され15人が即死する

痛ましい出来事があっていて、

その中には彼女らの

同じ高校(当時は旧制中学)の先輩が、

何人も含まれていた事実です。

終戦の前日だったなんて、

運命とはどこまで残酷なのでしょう・・

刈谷市〜田原市へ

刈谷市の依佐美送信所記念館から

田原市の神戸駅近くの慰霊碑までは、

かなりの距離があります。

赤丸で囲んだ刈谷市と田原市、

車で約1時間半のドライブでした。

僕の感覚ですが、

愛知県の面積は全国平均ほどなのに、

多彩な地形の関係もあってか、

数字よりもはるかに広く感じ、

どこへ行っても

同じ県とは思えないほどの

新鮮さを享受できます。

渥美線電車機銃掃射跡地・慰霊碑

神戸駅前の駐車スペースで、

妻が雄叫びを!

「あれ、案内板じゃない?」

お〜ここに案内板があるとは、

さすが現地指南役の妻、

グッジョブです!

「渥美線電車機銃掃射跡地」

「終戦前日の1945

(昭和20)年8月14日

昼頃、空襲警報の解除を受けて

三河田原駅を発車した名古屋鉄道

(現・豊橋鉄道)渥美線の電車は、

神戸駅を過ぎ八丁縄手を走行中、

とつじょアメリカ軍P51戦闘機の

機銃掃射を受けました。

この攻撃により、「十五人即死、

十六人重軽傷ヲ出」(神戸村日誌)す

大惨事となりました。

この電車には、

食料買い出しに来ていた人々、

下刻途中の成章せいしょう中学

(現・成章高校)の生徒、

赤ん坊を背負った母親、

そして国民学校を卒業したばかりの

車掌見習いの少年など、

多くの乗客・乗員が乗っていました。

被災者は現場近くの住民らにより

戸板やリヤカーに乗せられ、

渥美病院へ運ばれました。

現在、現場の一角には

「大東亜戦争動員学徒殉職之碑」と

自然石の慰霊碑が建てられ、

犠牲者の冥福が祈られています。」

もう言葉になりません・・・

紙芝居の絵も、

心に刺さります・・・

神戸駅入口。

この線路のすぐ先が現場です・・

慰霊碑に到着。

「大東亜戦争動員学徒殉職之碑」と

自然石の供養塔に参拝。

供養塔を裏側から見ると・・・

塔の背後に小さな石が乗せられ、

数えてみると

全部で31個あるようです。

案内板の神戸村日誌にあった、

死者15名と重軽傷者16名、

この方々を表す石なのでしょう。

また、

手前の慰霊碑の裏側上部を見ると・・・

殉職者と記され、

「成章学徒」とあり、

5人のお名前が刻まれています。

想像ですが、

ここから豊川海軍工廠などへ、

勤労奉仕へ向かわれていたのでしょう。

改めてご冥福を祈るばかりです・・

菊電車

参拝を終えて神戸駅方面へ歩き出した時、

神戸駅方面へ向かう電車がやって来ました。

慰霊碑の前を通過中。

ここで妻が雄叫びを。

「あれ、菊って書いてある!」

慰霊した直後に

菊のヘッドマークを付けた電車が通るとは、

菊の花をお供えした訳でもないのに、

何故か、

殉職者の方々に伝わった気がします・・

神戸駅に入線する「菊」電車。

この後反対側から来た

電車のヘッドマークは「菜の花」(笑)

いつも心から慰霊する妻だからこそ

菊電車が来てくれたに違いありません。

 

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