称念寺(福井県)新田義貞贈位碑
賛同
称念寺の思い出の一つは
地震の痕跡です。
ただし、
地震と言っても、
今年初めの能登半島地震ではなく、
今から76年前に起きた福井地震です。
当時、
称念寺と同じ坂井市の丸岡城は倒壊し、
人的被害も多数出ています。
称念寺ではその苦難の歴史を
しっかりと「形に遺して」、
未来に「伝える」ということを
されており、
このお考えには、
大いに賛同しております。
本堂
新田義貞公の墓にお参り後本堂へ。
参道。
本堂に到着。
案内板二つ。
白山信仰の地らしく、
このお寺も泰澄さんの創建です。
屋根に輝く、新田さんの家紋、
「新田一つ引き紋」。
賽銭箱の上には、
無料パンフレットの案内が!
自然石を文鎮代わりにしているのが、
暖かさを感じますね。
パンフレットいただきました。
明智さんフューチャーのパンフ(表)。
裏面。
ここには、
新田義貞公墓所であることなども
書かれています。
中面。
光秀さんがいた頃の、
称念寺の門前町界隈。
船着場があったとは、
この絵図があって初めて理解できた事、
実にあり難し!
四つ折りを全開すると
光秀さんについて、
かなり詳細な紹介があります。
メインは、
黒髪伝説をはじめとする夫婦愛ですが、
僕が注目したのがこちらの写真です。
「大湊神社に残された歌碑」
ビックリすることに、
僕たちは7年前の福井旅で、
東尋坊を訪問する直前、
参拝しているのです!
もしかして、
偶然にでも歌碑の写真を
撮っていないかと
確認してみると・・・
ありました!!
拝殿左手の石碑は、形からして、
間違いなく光秀さんの歌碑ですね!
当時は全く知らなかったのに、
称念寺さんとのご縁のおかげで、
7年の時を超えて、
この写真の意味が分かるとは、
やはり称念寺さんの
引き寄せパワー凄いです!
色々と知る事ができた喜びを胸に(笑)
本堂前にてツーショット完了。
黒髪伝説・松尾芭蕉碑
本堂横には
巨大な宝篋印塔が建っています。
どなたを慰霊しているのかは
分からないものの供養塔には
違いないでしょう。
そして、この向かい側、
「黒髪伝説コーナー」へ。
木々の影に守られるようにして、
二つの歌碑が建てられています。
案内を抜粋・要約すると、
以下になります。
「弘治2(1556)年、
斎藤義龍に敗れた光秀一家は、
称念寺に逃れ、
そこで仕官を目指すも
なかなか芽が出ず、
そんな折、
朝倉の家臣と連歌の会を
持つことになり、
その資金を光秀の妻、煕子が、
長い黒髪を売って用立て、
そのお陰もあって連歌の会は大成功し、
光秀は仕官が叶い、
出世街道のスタートに立てたのです。」
「この夫婦愛の物語は、
称念寺の伝承になり、
江戸時代の松尾芭蕉が、
「奥の細道」の旅の途中に
この伝承を取材しました。
その後、旅を終えた後、
弟子の山田又玄(ゆうげん)が、
出世できないことに悩んでいた時、
「月さびよ、
明智が妻の咄(はなし)せむ。」
この句を又玄に送って励ましたのです。
訳すと、
「又玄よ、今は出世の芽が出ていないが、
あなたにはそれを支える
素晴らしい妻がいるじゃないか。
今夜はゆっくり明智の妻の
黒髪伝説を話してあげよう」
新旧二つの歌碑。
左側が「旧」のようですが、
確信はありません。
詩の後の解説に、
「将軍明智」と書かれているのが、
なんだか新鮮な響きですが、
確かに一将軍ではありますから
これはアリでしょう(笑)
古い方(多分)の歌碑。
裏面には、
「伊賀上野 濱邊萬吉書」と
刻まれていています。
芭蕉さんの生まれ故郷、
伊賀上野の人達から
寄進されたものかも知れません。
ちなみに、
「濱邊萬吉」さんをネットで確認すると
画家(芸術家)のようです。
忠霊塔
次に本堂向かって左側の忠霊塔へ。
北陸新幹線をバックにそびえる忠霊塔。
新旧構造物のコントラスト、
なんか素敵だ〜!
参拝。
そして、振り返った時、
目に入ったのがこちらです。
斜めにポッキリ折れた鳥居の柱。
延享四年(1746)の銘が確認できます。
これは恐らく福井地震の時に、
折れたものでしょう。
普通ならば撤去するところですが、
こうやって残されているのは、
何か理由があるのかと思っていた所、
この後に行った、
本堂前の新田義貞贈位碑で、
その真相が明らかになったのです・・
新田義貞贈位碑
参道の右側、本堂の手前には、
渋い色した石碑が建っています。
「新田義貞贈位碑」。
手入れが行き届き、庭園然とした
素晴らしい空間になっています。
ただ、
庭園の構造物とは明らかに違う
岩のようなものが石碑の前に
横たわっているのです・・・
力尽きてバターンっと手前に
倒れたような感じで、
大きな岩は割れていて、
黒くて渋い石碑との対比が、
なんとも言えません・・・
よく見るとびっしりと
文字が刻まれています・・・
これは「先代さん」かと
何となく理解しましたが、
なんでここにあるのか?
その疑問は、
「称念寺再興記念碑」によって
氷解したのです・・・
この碑文は当時の住職さんが
書かれたもので、
一部を要約・抜粋すると以下になります。
「昭和二十三年六月二十八日午後五時
大地震が発生し、贈位碑も四方に倒れて
上部を大破損した。
その後、贈位碑は再建なったが、
倒れた贈位碑はいわれも深く、
廃棄するに忍びず、
大地震の惨状をしのぶことができる
唯一のものとしてそのまま長く
保存することにした次第である。」
これには僕も妻も感動&しんみり・・
遺しておくことの大切さ、
教えていただきました。
こちらの石碑には、
新しい贈位碑を寄進された方の
思いなどが綴られています。
称念寺訪問の目的は
新田さんと明智さんでしたが、
お寺さんの
「過去の災禍を未来に繋ぐ」という
実例を目の当たりにできたことに
改めて感謝しております。