芙蓉部隊搭乗員兵舎跡地

 

継承のあるべき姿

目に見える戦争遺跡、

体験者の頭の中の戦争の記憶、

どちらも時が経てば、

風化してしまいますが、

そんな風化に抗うようにして(笑)

作成されたのが、

曽於市の戦跡マップです。

昨年(令和7年)に作成されたもので、

僕たちはこのマップのお陰で、

かなりスムーズに戦跡巡りが出来、

ホント重宝しました!

ただ、このマップの素晴らしさは、

地図機能だけではありません。

「戦争遺跡(戦跡)とは」の説明が、

実に秀逸なのですよ!

以下、書き出してみます。

「戦争のために造られた施設や、

戦争で被災した建物などのことを指します。

これらは戦争の時代を物語る遺跡であり、

当時の様子を伝える

生きた教材として活用されています。

ここでは、第二次世界大戦の局面の一つ、

いわゆる太平洋戦争

(「アジア・太平洋戦争」や

「大東亜戦争」とも)の時代のものを

主に掲載しています。」

この文章の中では、

戦後、米国から押し付けられた

「太平洋戦争」という呼称に対し、

「いわゆる」の前置詞を付けたり、

「大東亜戦争」という、

日本側の呼称も明記され、

公正な見地からの説明で、

継承のあるべき姿を具現化した、

お手本とも言えるでしょう。

芙蓉部隊搭乗員兵舎跡地

戦争遺跡といっても

看板のみが建つ所もありますが、

この「看板」があればこそ、

当時を想像する事が可能となるのです。

特に搭乗員兵舎跡に関しては、

看板がなければ、

100%見逃していましたから。

防空壕(淡路隊)兵舎の案内。

AIによると淡路隊は防空部隊で、

地上から敵飛行機を撃ち落とすのが、

役目だったようです。

そしてここから

通信壕跡を目指していた時、

目の前に現れたのがこちらの看板です。

「夜の攻撃専門の夜襲部隊

芙蓉部隊」と記され、

飛行服姿の兵士が敬礼しています。

めっちゃインパクトあって、

思わず車を停めていました。

少し歩くと、

航空兵がお出迎えしてくれます(笑)

手袋には

「岩川 芙蓉部隊 2021」の

文字が記されています。

案内板を発見。

「芙蓉部隊搭乗員兵舎 断面図」

「昭和20年6月9日

この下の斜面に5棟完成」

これはめっちゃ分かりやすいですね!

ただ見るだけで、理解できますから。

今の感覚で言えば、

「バンガロー」でしょうか。

「弊社は杉木立を柱に利用した

片屋根の三角兵舎であった。

急ぎの建築工事のため、

作業員は佐世保から派遣された

人達が当たった。(池田秀一氏談)」

このように記されています。

勤労奉仕の素人では、

仕事が遅いということで、

専門家が呼ばれたと推察します。

そして、注目は「(池田秀一氏談)」です。

この方は、芙蓉部隊の隊員で、

艦上爆撃機彗星で夜間攻撃に参加、

生き残った後、30年ほどして、

岩川での航空隊時代に

知り合った女性と再婚し、

最後は夫婦で岩川に移住し、

人生を全うされた、

あの「池田秀一」氏の事でしょう!

やはり

「伝える為に神様が選んだ人」

なんですね・・・

ここには五月になると

兵隊さんを偲ぶかのように、

ヒメボタルが乱舞するそうです。

先に見た看板の写真では、

やはり芙蓉部隊の方々の

魂のような気がしてなりません・・・

この斜面にあったのですね・・兵舎。

芙蓉部隊の方々へ敬礼!

 

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