覚照寺/機銃掃射の痕(曽於市)
保存
大東亜戦争(太平洋戦争)末期、
日本は至る所で米軍機から機銃掃射を受け、
銃弾により多数の老若男女が、
尊い命を落としたり、傷ついたりしました。
そして今でも
機銃掃射の痕は、日本全国に残っています。
また、残っているだけでなく、
「大切に保存されている所」もあり、
その一つが、曽於市の覚照寺です。
約20年前の大掛かりな本堂修復時にも、
銃撃痕の残る天井や柱はそのままにされ、
この目で見て体験できます。
「百聞は一見に如かず」、
戦争の傷跡は痛々しいものではあるものの、
やはり歴史から学ぶ上で、
これほど貴重なものはないでしょう。
本堂(外観)
まずは、
曽於市埋蔵文化財センターで頂いた、
パンフレットから抜粋します。

「覚照寺(機銃掃射の痕)」
「昭和20年8月6日、
都城で大空襲がありました。
この日、旧岩川駅の構内でも
死傷者が出ましたが、
すぐ近くの覚照寺も
米軍機の機銃掃射により、
大きな被害を受けました。
本堂は北西の方角から攻撃を受け、
392枚の瓦が損傷し、
屋根は蜂の巣のように
穴だらけになりました。
弾丸は200発以上発射されたといい、
天井や柱、廊下等には弾痕が残され、
当時の凄まじさを今に伝えています。
(中略)
なお、覚照寺は戦時中、
飛行場工事の勤労奉仕隊宿舎や
積部隊(第86師団)の
宿舎として利用されました。」
僕たちが後から聞いた
覚照寺の住職さんの話によると
機銃掃射での人的被害は無かったそうで、
それが一番の救いです。

覚照こども園(保育園)。
これと向き合う形で建つのが本堂です。

立派ですね!
本堂は閉まっていたのですが、
機銃掃射の痕を見せていただきたく、
寺務所の方にお声がけをした所、
住職さん自らが案内をしてくれ
貴重な当時のお話まで
お伺いする事ができたのです。
アポ無しでの訪問にも関わらず、
本当に親切にしていただき、
感謝しかありません。
本堂(参拝)
住職さんに導かれて本堂内へ。

まずは参拝。
ここで、
須弥壇左側の案内で、
鹿児島のお寺の苦難の歴史を
改めて知る事となったのです。

「本年(令和八年)は、
明治九年九月五日に鹿児島に
信教自由の令が布達されて
150年の記念すべき年。
旧薩摩藩による厳しい禁制の中で、
約300年もの間、
念仏のみ教えを護りぬいてくださった
先達念仏者の遺徳を讃え
感謝する大切な年であります。」
江戸時代からの弾圧と、
明治維新後の廃仏毀釈で、
全ての寺が壊されて無くなった
鹿児島県ならではのものです・・・
住職さんの話では、
お寺を復興する際に、
鹿児島には住職となる人がいなく、
地方から来た方々が、
お寺の復興の担い手となったそうで、
弾圧がいかに苛烈だったかを
如実に物語っています・・・
本堂(機銃掃射の痕)
ここからは機銃掃射の痕を巡ります。

住職さんが天井を見上げ、
「あそこが弾痕です」
そう指差した先を見ると・・・

生々しい弾痕です。
この下に人がいなくて、
ホント良かった・・・

柱の弾痕。
場所が分かるよう、
各所に矢印があります。

貫通したのでしょうか・・・

こちらも生々しい・・・

こちらは弾痕がわかるように
障子の端っこを削って、
保存されています。

とにかく沢山あります。

貫通した銃弾痕。

「米軍機による機銃掃射の銃弾」
以下、抜粋です。
「1945(昭和20)年、
八月初旬、大隅町岩川の町は、
米軍機の機銃掃射を受け、
覚照寺も銃撃を受け、
392枚の屋根瓦が損傷し、
当時大学生であった第三世典雄住職が
京都より帰省したときには、
本堂屋根は蜂の巣のように穴が開き、
雨天時には滝のように
雨が堂内に流れていたと言います。
また、その機銃掃射の折、
庫裡裏の防空壕に避難していた
第二世義雄住職が、機銃掃射止まぬ中、
撃ち込まれた曳光弾から引火した
本堂床下のソテツの葉を消し止め、
本堂消失を免れた事は
誠に幸なことであります。
平成二十七年二月下旬、
「親鸞聖人七五○回忌
開基住職・第二世住職讃仰
並びに総門徒追悼法要」の
本堂整備事業として、
発行ダイオード証明設置工事の際に、
銃弾一個が天井裏から発見されました。
長さ四十ミリ、直径五〜十ミリ、
重さが三十グラムあります。
「世の中安穏なれ 仏法弘まれかし」と
願われた親鸞聖人のご法要を機に、
さらに戦後七十年の
節目の年に発見されたのは、
大変意義深いことです。
戦争の悲惨さを伝える「生きる品」として、
堂内の弾痕とともに
大切に保管しています。」

ガラスケースで保管された銃弾。
これが人に当たらなくて、
ホント良かった・・・
ここまでで、本堂内の見学は終了です。
親鸞聖人遠望の御姿(銅像)
僕たちは3年ほど前、
比叡山延暦寺の横川(よかわ)で、
親鸞聖人の絵看板を見ました。

専修念仏が禁じられ罪科に処せられ、
越後(新潟県)へ配流となった際の
親鸞聖人の姿です。
正しいと思うことで、
罰せられる・・・
親鸞上人の人生でも
辛い時期だったことでしょう。
覚照寺の本堂前には、
そんな艱難辛苦を超えられた
親鸞聖人の銅像が建っています。

参道。

本堂に背を向け、
町を俯瞰するかの如くに
建てられた銅像は、
扉を開閉して正面に回る事ができます。

親鸞さん目線の街並み。
街の人々は、親鸞さんに
見守られているようですね!

「親鸞聖人遠望の御姿」。

銅像アップ。

鐘を撞く妻。
機銃掃射の痕を見た直後、
平和の鐘を鳴らす・・・
いっそう、今の平和は、
奇跡だと感じさせてくれます・・・