旧海軍岩川航空基地通信壕跡

 

最後を見送った場所

芙蓉部隊は夜間攻撃の専門で、

特攻を否定(拒否)していたという

記述が多くありますが、

色々と調べてみると、

特攻した飛行機もあったようです。

過去を「美しく語る」というのは、

人間の性(さが)ですからね・・・

ですから、

基地通信壕でも、

串良などの地下通信壕と同じく、

「最後電」を受信しいた可能性は、

大いにあると思います。

そうでなくとも、

夜間攻撃隊というのは、

困難至極な作戦ですから、

ここが多くの隊員の最後を

見送った場所であるのは、

間違いないでしょう・・・

通信壕跡

まず慰霊碑、「芙蓉之塔」前の配置図で、

通信壕の場所を確認します。

この地図の上側の

6番が、基地通信壕で、

現在の行政区画としては、

滑走路がる「曽於市」のお隣、

「志布志市」になります。

通信壕は埋められて、

中に入る事は出来ず、

いくつか残ったコンクリ製の入口も

民家の敷地内にあるため、

見学する時には、

住民の方への配慮が必要です。

一つ目の地下壕入口。

正面。

左上の標柱には、

「市指定文化財。

太平洋戦争時の地下通信壕で、

約20坪の地下室に5つの出入口がある。」

このように記されています。

入口の推定図をアップ。

5つの出入口があり、

中心部分に20坪の

通信室があったのかと

思われます。

20坪は学校の教室より、

少し狭いくらいだそうですから、

串良の通信壕と比べ、

半分ほどの規模でしょうか。

戦争末期なので、

物資調達などは困窮を極めていたはず、

完成しただけでも

奇跡的な事かと思います。

中は・・土・・のみ・・

茨城県の筑波海軍航空隊のように

完全に埋もれていた地下通信壕を

全部掘り起こして、

見学可能にしてくれればと

淡い期待を抱いてしまいますが、

私有地だから、やっぱ無理かな・・

高い位置にある2つ目の入口。

ズームで撮影。

3つ目の入口。

中の作りは最初のと同じですね。

斜めから。

最後に大きさ比較のため妻登場。

ここまでで、

岩川航空基地通信壕跡の見学は完了です。

 

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