忠魂碑広場(兵庫県朝来市)

 

先人を思う場所

竹田城の麓まで下りて、

たまたま通りすがりで見つけたのが、

忠魂碑広場と呼ばれる一角です。

今の平和な日本があるのは、

日本を憂い、家族の盾となり

戦没された方々がいらっしゃるからこそで、

その気持が形となって現れたのが、

無数の忠魂碑や殉国の碑です。

国単位では全国の英霊を祀る靖国神社、

県単位では県の英霊を祀る護國神社、

地域、町単位では、地域の護國神社や

忠魂碑、殉国の碑、慰霊塔と

戦陣に倒れたご先祖様を

思い、偲ぶ場所は、

日本各地に存在しています。

忠魂碑広場

実はこの広場の上には

天満宮があったのですが、

それに気付かずにいつの間にか、

忠魂碑広場へと導かれてしまいました。

広場の入り口。

桜まつりのシーズンだけ、

このボンボリが建てられるようで、

手前のものには「天神さん専用」と

紙が貼ってあります(笑)

広場の名前にもなっている忠魂碑。

案内版。

日露戦争で戦死された

町内15名の方を祀っています。

忠魂碑の後ろに見えるのが、

西南戦争で戦没した

藤本芳蔵(加都村出身)の墓地。

官軍として従軍し、

激戦だった熊本県田原坂の戦い

戦死された方のようです・・・。

墓地の右手前に建てられた、

「元戦友墓地」の碑に

亡くなった方の

戦友たちの思いが伝わって来ます。

殉国の碑。

第二次世界大戦の

戦没者210名を祀るもので、

戦没者全員のお名前が、

碑の内部に書かれています。

大田雅義追慕碑。

案内板によると、

生野の変にかかる

勤王の志士で、

お墓はここ竹田と

坂本龍馬など、

幕末の志士が多く祀られた、

京都霊山護國神社

霊山墓地にもあるそうです。

松井巡査の碑。

案内には、

「兵庫県殉職第一号で、

1879年(明治12年)、

自宅に入った強盗と格闘の末、

31歳で殉職された」

このように書かれています。

恐らく地元以外の方は知らないであろう、

一警察官の事だからこそ、

こうやって、石碑を建てることが、

後世に伝える大切な手段なんだと

改めて思いました。

忠魂碑広場、

ずっと残して欲しいものですね。

 

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